タラフ紙、再び編集長交代―オラル・チャルシュル降板
2013年04月26日付 Radikal 紙


タラフ紙のオラル・チャルシュル編集長が辞任した。代わりにネシェ・デュゼル氏が就いたと発表された。タラフ紙の記者の一人、ユルドゥライ・オウル氏は「質問に対する包括的回答」と題したツイッターで、「彼らはタラフ紙を別の方向に導いている。私たちはその方向には行かない・・・」とつぶやいた。オラル・チャルシュル氏は自身のツイッターで次のようにつぶやいた:

私はタラフ紙を辞めたことについて皆さんに説明します。

私はタラフ紙を辞めた。

わがタラフ紙は「しかし」のない「平和の新聞」であった・・・

私は2013年2月1日に就いたタラフ紙の編集長の職を辞任した。

私が「賢人会議」のメンバーらとカスタモヌを訪問している際、タラフ紙のオーナー、バシャル・アルスラン氏が私に相談もせず、知らせもせずに、編集責任者のクルトゥルシュ・タイズ氏を解雇した。私は彼を解雇したことは私の職権と編集業務への干渉であり、受け入れられないと伝えた。私はその日に辞任した。自分の名前を編集者名簿から除外してもらった。しかし私の知らないところで私の名前は再び編集者名簿リストに戻された。

私はバシャル・アルスラン氏がこの干渉的な態度をあらためることを期待したが、彼は出版責任者のマルカル・エサヤン氏も解雇した。

タラフ紙は私の下で、そして編集記者たちのすばらしい働きにより、「解決と平和のプロセス」に断固たる支持を表明し、女性や疎外された人々の問題では明らかな差別に配慮するために出来る限りのことをした。

多くの記者がタラフ紙に戻り、新しい記者も加わった。タラフ紙の仲間たちは非常にうまくやっていた。広告収入は2倍になった。売上も伸びた。

タラフ紙の記者の多くは平和プロセスを心から支持していた。

タラフ紙の危機はトルコで明らかになってきたさらなる「浄化(純粋化)」の一つの表れであるということ、別の言い方をすれば、「平和の過程」への異なるアプローチに起因するものだと言うことが出来る。
政府の一歩を危険とみなす人々は、「軍事衝突」が終わりをつげるのを恐れるといった精神状態に陥っている。

こうした観点から、タラフ紙が彼らの心配や不安の代弁者となることを望む人々が、タラフ紙に干渉した。タラフ紙、編集部そして私は、まさに調和の中で、「しかし」のない平和を主張することに固執した。

事の本質、それは平和に対する挑戦である。

これほどの騒動の裏にある本当の真実は、これだ。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:29768 )