和平プロセスの影の演者:#TwitterKurds
2013年05月05日付 Radikal 紙
ツイッターで一時期クルド人活動家の活動を結びつけるハッシュタグ、#TwitterKurdsを作ったイギリス人マーク・キャンベル氏と、「和平プロセス」について話した。
ツイッターで一時期注目されたユーザーがいる。Hevalloだ。自身のページにある、140字で書かれた自己紹介によると、FED-BIRという略称でも知られるイギリス・クルド協会連合の広報・渉外の責任者だ。
Hevalloは、少し前につくり、すべてのツイートに使っている#TwitterKurdsのハッシュタグで、このSNSにおけるクルド人と、クルド人に関する問題に関心を持つ世界の様々な場所に住む人を集め、知識を与え、組織し、簡単に言うと連携を生み出している。このハッシュタグは、もはやクルド人について書いたことや出版したものに気付いてほしい記者やメディアによってさえも使われるようになった。
#TwitterKurdsをつけて書かれたものを見ると、非常に驚くべきことがわかる。自身の両親が20年、30年、または40年前に祖国から世界の様々な場所に移住し、人生で一回もその地を見たことがなく、クルド語もわからないが、上の世代よりもクルド問題に関心を持ち、各国のクルド人権活動家らの支持を集めるクルド人の若年層が存在しているのだ。Hevalloも、立ち上げたルートを通じてこの若年層に呼び掛けている。
少し前に他界したシェラフェッティン・エルチ氏は、「我々は平和について話し合える最後の世代だ」と言ったが、多数を若者が占める#TwitterKurdsはこの問題について、何を考えているのだろうか?
■Hevalloは私を驚かせた
この問いへの答えを見つけるために私は今週の頭、Hevalloに会った。打ち明けよう、私は彼と知り合う前は、25歳から35歳くらいの、イギリス生まれで、Hevalという名前の、ヨーロッパ在住のクルド系二世を想像していた。しかし本当のHevalloは私を非常に驚かせた。彼はマーク・キャンベルという名前の50歳のイギリス人だったのだ。
1993年、つまり非常事態体制の最も厳しかった時期に若い写真家としてある人権団体とともにトルコに来て、ディヤルバクルで村々が焼かれるのを目撃し、さらに短期間逮捕され、自身が言うところの「国際的な外交スキャンダルを生み出し、イギリスの新聞の見出しとなった」マークは、これらの見たことを忘れたことは なく、その日以来今まで20年間「クルド人の置かれている状況をより多くの人に知ってもらうための運動に没頭した」と話している。
■二つの主な見解が同じ場所に
その後2010年に「アラブの春」が始まり、アラブ人活動家がSNS、特にツイッターを使うことにおける成功にインスピレーションを受け、#TwitterKurdsを立ち上げることを決めたという。まず2011年3月にBDPが「市民不服従運動」を始めた時に、広報の目的で一連のツイー トのために使ったハッシュタグは、当時も今も機能を「うまく」果たしている。
マークは、#TwitterKurdsが和平プロセスに関して概して、「クルド運動のリーダーらが正しいことをするのを信じている」が、トルコ政府については異なる見解が問題となっているとしている。彼は、「クルド側は和平のために多くの決断をしたが、トルコ側がディジレ大学での、または(4月23日の)ジズレでの攻撃のような圧政的な行動を続けるのを見たことから、深刻な不信の状態がある。もしくは、より実践的なアプローチを示し、物事を大きくとらえる人や、もし成功すればトルコ国家の中でのプロセスを壊そうと決めている一部の集団が生じ、パリでの殺人のような多くの挑発に直面するだろうと予想する人もいる」と話す。
アブドゥッラー・オジャランは「よく考えられたロードマップ」で、唯一のアクターのように見える。オジャランの、和平が自身の釈放よりも重要であるという向きの発言について取り上げたマークは、「しかしオジャランが進めることができる和平のために、クルド人の活動の中に身を置く他のアクターと、より簡単に対話でき、集まることができるような環境があることが、よりしっくり来る」と話す。この点では、BDPの議員が「手紙配達人」として用いられるようになれば、「会談が政治的により適した環境で行われることを確かにし、真の変革の空気を生み出せる」としている。
マークは、「イムラル・プロセス」が成功するための条件は、「トルコ政府が信頼を築くためにとる行動において、クルド側が行うことに見返りを与える事」だとしている。この観点からPKKの撤退に対して「双方の停戦宣言」とKCK裁判の拘留者の釈放のような、BDP共同党首セラハッティン・デミルタシュも少し前にロイター通信に行ったインタヴューで言及した条件が見本になる。
■「聖金曜日」のようになるのか?
イギリス人と対面すると、90年代のイギリスとIRAの間の和平プロセスの礎の一つである聖金曜日協定について話したくなる。そしてマークは、その時代を生きたイギリス人だ。
マークはこれが正しい比較であると考えており、先週発表されたTime100のリストでアブドゥッラー・オジャランのプロフィールを書いたのが、IRAの政党とされるシン・フェイン党の党首ジェリー・アダムスであることに触れつつ、答えた。その後、以下のように続けた:
「イギリスでもトルコでもそうであるように、全国民は政府の心理情報戦に巻き込まれ、イギリスの、アイルランドでの「血の日曜日(1972年にンデリーでイギリス軍が26人の人権活動家に対して発砲し、14人が死亡した虐殺事件)」に似た罪が、人々の前で徐々に明らかにされるにつれて、世論が変わり、 IRAとの政治的解決がもたらされた。結果として90年代に3500以上のクルド人の村や町、土地がトルコ軍によって破壊される一方、トルコでも「血の日曜日」と比較されうる「ロボスキー(ウルデレ)事件」に似た事件が起こった。」
結論は?マークによると、クルド人運動は和平プロセスについて、厳しい立場をとっているという。さらに、「両者とも2009年10月に起こった「ハブル事件」から得るべき教訓を得た」と彼は述べる。そのためクルド側に「一連の心配と緊張」があっても、私がマークの言ったことから出した結論は、達成するのは難しいが、非常に価値のある平和がトルコを待っているということだ。
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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:29876 )