トルコは、PKKのテロがようやく終息したと深い息をつこうとしていた時に、近年で最大規模の襲撃の衝撃を受けた。40人以上が死亡し、数十人が重傷を負った。ショックを受けた国民、ぎすぎすした神経、しばしば理性を失わせる「ほら見たか、お前の支持する者たちがやったのだ、いや、(別の方向をみて)お前の支持する者たちがやったのだ」と言い続ける、国内の緊張した政治的グループ化の混乱…。現在まで誰もが明確に非難から除外しているのは、45人の死者のみだ。
■それぞれにとっての「正しい」シナリオ
しかし、私は(11日の)昼間に発生した爆発から現在(11日)まで、ソーシャルメディアやテレビでの分析を見たところ、
1.自分に対するトルコの政策を不快に思ったアサド大統領が行った
2.制御不能になったシリアの反体制派勢力が行った。トルが甘やかしてきたので、彼らはトルコにはびこっている
3.アル・カーイダのようなイスラム過激派組織が行った
4.イスラエルが行った
5.トルコを前線に配置したいアメリカが行わせた
6.PKKの可能性もある
7.外国の機関のうちどれかの可能性もある
と続き、誰もが自分にとって正しい理由を見つけようとするいくつものシナリオが踊っている。誰もが自分が正しいと思うことを主張している。
■無意味な内紛
トルコ国内には強固なアサド派グループもいる。同時に(トルコの)野党勢力はこれを政府の政策のせいにしようとしている。結果として誰もが、爆発の悲惨な構図を利用し、一刻も早く犯人を捕まえるのではなく、トルコの無意味な内紛によって時間を過ごしている。そんなものは脇におき、前に進もう、しかし中立的に。
■仲間ならば間違っていると言うべき
なぜなら、最近、次のような傾向があるからだ。よいことを称賛する時、まるでそれが義務であるかのように、すべてを正しいと認めなければならない。すなわち、政府がやることは何でも「正しい」と言わなければならないのだ。本当の友ならば、間違っていると思ったことは正直に言う必要がある、もちろん、よいところは、それと認めて。今日のトルコで、全てが悪く、あらゆることが間違っていると言うのは、さずがに良心に反する。しかし、これは一方の味方をすることではない。つまり、あらゆることを全て悪いとけなしたり、あるいはあらゆることについて間違いも問題もないと言ったりすることではないのだ…。そんなことは、世界の歴史においてもトルコにおいてもなかった。政府と野党の双方に提案する。「あなた方の行うことはすべて正しいです」という者たちとは距離を置いた方がいい。
■政策は現実的かつ感情的
さて、現実に移ろう。トルコの当初からのシリア政策は、―おそらく国境の向こうから伝わってくる痛みを直接感じるせいだろう―現実的であると同時に、自身が損害を被るほど、感情的で非常に前のめりのものだった。つまり、欧米諸国の、「お先にどうぞ、私たちも後に続きます」という誘いにトルコの外交は乗ってしまっていたと私は見ている。この爆発は、初めてのものではなかった。軍用機が撃墜され2人のパイロットが殉職した。「偶然に」何十もの砲弾が我々の国土に落ちた。国境門で爆発した爆弾、難民キャンプで政府の担当者らに行われた襲撃は、今日の爆発の前兆だったのだ。
■「もはや巻き込まれている」というメッセージ
何よりも、この襲撃はレイハンルを通じ、明らかにトルコに向けて行われた襲撃である。これは、誰かを挑発するためのものではない。本当にこれを行った犯人が見つかったときには、数十人のトルコ共和国国民の犠牲の責任を問い、相手に報いを受けさせるべきである。しかし、この襲撃は、トルコにはっきりと、「あなたはもはや巻き込まれている」と認識させるプロの襲撃だった。
■トルコはもはや「中東語」を聞いている
トルコ国内には、アサド派と反アサド派がいる。彼らの間での争いは脇に置いて、中東の現実に戻ろう。「中東語」、これはトルコが直面し、新たに聞き始めた言語の名前である。これは中東で、ベイルートで話されている言語である。パレスチナ、イスラエル、その他のデリケートな場所で話されている言語である。これはレイハンルをレバノンのような状態にしたことの延長線上にあるものだ。つまり、事件が起こっても、だれがが行ったかはわからず、しかしながらその事件はあなたにいくつかの言葉を残し、はっきりとしたメッセージを提示するのだ。
■エルドアン首相へのメッセージか
エルドアン首相は、5月16日にオバマ米大統領と重要な会談を行うことになっている。この訪問に先立って行われた、シリアの化学兵器が使われた証拠を手にいっぱいもってワシントンに向かうという趣旨の説明と、アサド大統領への厳しい批難は、「アサド大統領は、アメリカ政府の前にエルドアン首相にメッセージを伝えたかったのか?」という疑念を、正当で強いものにしている。しかし、一部の人々は、(アサドが)それほど単純なことをするはずがない、という。これを行うのは、せいぜいトルコとアサド大統領を対立させたい者たちだ。おっと!トルコとアサド大統領は、とっくに対立しているのではないか?ではいったい何の分析なのか?これは、ただトルコを現実と向き合わせるだけのことである。「さあ、どうぞ、トルコは何をするのかを見ようではないか」というわけである。
■F-4撃墜事件はまだ記憶の中に
これほどの問題を抱えているなかで、アサド大統領にこれを行う勇気があるだろうか、と一部の人々は言う。しかし、イスラエルから何十もの爆弾を受けつつ、どうすることもできずに事件を見ているだけのアサド大統領が、トルコのF-4機を撃ち落とせる勇気を示したことはまだ記憶にあたらしい。爆発事件は、完全にシリア問題がらみのものであり、アサド大統領が、もしくは間接的にアサド派のグループが行った可能性がつよい。加えて、トルコを嫌っているグループである。
■嘆かわしい国境の脆弱性
国境管理の脆弱性には、言及さえしたくない。とても腹立たしいことだからだ。最近もアメリカ人旅行者を殺害した殺人犯が、イスタンブルから国境に超え、容易にシリアに入り、また戻ることができた。つまり、現在、国境から現在出入りする者ははっきりしていないのだ。この爆弾を積んだ車もどのように入り、出て行ったのか、この爆弾はどのように持ち込まれたのか。短期間で見つけることが必要だ。発見されなかった犯人は、残念ながら新たな爆発をもたらす可能性がある。
■レイハンルは象徴的な場所
レイハンルは、最近化学ガスの犠牲者たちが治療を受けていると言われる場所である。この点からも、象徴的な重要性がある。やるべきことは短期間に犯人を発見することに限る。「あいつがやった、こいつがやった」という喧嘩で争うのではなく、証拠をもって真犯人が見つけられることを期待しよう。さもなくば、この事件は市民が苦しむだけでなく、トルコの内政の争いになる。これが通常の一組織の仕業か、私にはわからない。しかし唯一わかることは、本当の襲撃はトルコ共和国に対して行われたということだ。これは、「さあシリアと戦おう」といいたいのではない。しかし誰がやったとしても、この無辜の市民の血の精算が、最も重い形で問われることが、何をおいても必要である。
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:29928 )