本の虫の大敵は妻
2013年06月02日付 Yeni Safak 紙


研究者ルファト・バリ氏が、本コレクターおよび古本屋についての情報と文章をあつめた本には、面白い逸話が載っている。珍しい本を見ると手を震わせる本コレクターたちの最も大きな試練は妻だそうだ。家でかなりの場所を取る本を女性たちはもう一人の妻のように見ており、夫が亡くなるや否や本を古本屋に売り払っているという。

古本屋とコレクターが稀覯本や雑誌のためにできない愚行はないと、研究者のルファト・バリ氏は言う。長年集めてきた古本屋や本のコレクションについての情報や文章を『トルコにおける本コレクターと古本屋』という名前で本にしたバリ氏が自身もここ7-8年書籍業に関心を寄せ、海外の図書館に対して書籍調達のサービスを行っている。氏は、ここ15年の間に、研究に使うために自分に必要な本を集めている。現在1万2千冊の蔵書を抱える同氏は、業界の両方の方向にも精通している。3-4の言語を理解し、どの客がどの本に興味を持つのかを知り、それに応じて本を取っておく古本屋や、妻が怒っているのにどうしても古本屋から出られず、珍しい本を見ると青ざめて手が震え始める本愛好家を、バリ氏の本の中に見つけることができる。ルファト・バリ氏と今日のコレクターについて話した。

■コレクターは新しい富裕層

バリ氏はまず、有名な東洋学者さえ自著で言及したベヤズト古本屋市場が、今はただ授業や受験準備のための本を売る普通の市場になっていると話した。現在も古本屋への関心が持たれ続けていることについて、1980年以後総じてアンティーク家具、特に本を収集したり調べたりすることに熱中する新しい富裕層が出現したことに結びつけている。

「これは私からすれば西側で、特にアメリカでの似た富裕層の状況を手本にした新しい世代だ。社会の中で一定の地位を得て重要な存在になるには、お金だけで測ることのできる物では十分ではないと気付いた世代だ。そのため自身の名前が冠される図書館、コレクション、 私的な博物館を作り始めた。これらの中には、数は非常に少ないが、裕福な家族の若い世代もいる。」

バリ氏は、トルコで蔵書全体を買うことができ、それにふさわしい金額を出せる機関の数は多くはないため、一部のコレクションが、より大きな予算を持つ外国の研究図書館に行ったと話した。

■本で見栄を張ることはできない

我が国で裕福な本コレクターが数の上で少ないとするバリ氏は、この理由を、裕福な人間の本への関心が乏しいことに結びつけている。本コレクションがアンティーク、絵画、[礼拝用の]数珠、書の収集とは似ておらず、本は展示して人々に影響を与えられないためだという。したがって80年代末までにコレクションを始めた家族や実業界の名だたる人物が、本のコレクションにあまり関心を示さなかったと考えている。バリ氏は、「一時的に関心を持つ人もいたが、 彼らも数年でコレクションを手放した。本コレクションは稀覯本を除けば、非常に大きな富を持つ必要はない。そのため本書で触れられているコレクターの全員は、オメル・コチ氏を除いて控えめな財力を持つ本愛好家だ」と話す。

■非ムスリムの蔵書コレクションはない

ルファト・バリ氏は、1950年代や60年代までのコレクターの一部は西欧の言語(フランス語、英語)、ギリシャ語、アルメニア語の本を集めて蔵書を作ったと述べ、その理由をこのグループがイスタンブル出身の非ムスリムの家族であるからだとしている。もうひとつのグループは手稿本と印刷本を集めたムスリムの家族と知識人だという。バリ氏は現在、非ムスリムの間で特筆に値する蔵書を所有する家族を挙げるのが非常に難しいと話す。

■古本屋は墓さえ別

本愛好家と古本屋との間の軽い摩擦も話題だ。バリ氏は、「両者ともお互いを補完し、お互いを必要としている。そのためお互いについて洒落のような皮肉以外に深刻な摩擦は存在しない」と話す。しかし本の虫がとても被害を受けたためか、本書に載った文章では、本愛好家の何世紀も続く呪いの結果、古本屋はオスマン朝時代に墓を別にされたと言われている。レシャト・エクレム・コチュはエユプに行く際、死刑執行人と古本屋の墓が路上にあったと書いている。「残酷な古本屋」という表現は、いらいらした本愛好家によって今も使われている。

本書に載っているスィベル・キリムジの情報では、サジト・クトゥル博士は「古本屋は絶対ぼったくりだ」と言っている。博士は、「古本屋は私の友であり敵である。彼らなしにことは成立しない。ある人たちはあなたたちを生贄のように見て、人を捕まえた時に金銭的側面からだけでなく、他の側面からも残酷な行為を行う。分かっていて悲しませる。本をあなたたちに見せはするが、「売り物ではない」と言う。これは彼らがおこないうる最大の悪行である」

■価値を知る人も知らない人も難しい

本書に載っている対話の中の一つにヤヴズ・セリム・カラクシュラ氏が古本屋のサミ・オナル氏と行ったものがある。オナル氏は二つのタイプの人物から本を買うのがとても難しいと話している。本をとてもよく知っている人と、全く知らない人だ。オナル氏は、「とてもよく知っている人は本を愛していて、本の「真の」価値を知っている。特に商売に疎い人は、ある店で本がどう売り買いされるか、手数料はどれくらいでなければいけないか、この店の賃料と支出はいくらかと言ったことを全く考えない。これらすべてを計算せずに、「この本は君の店で10リラだが、8リラで買う」と言う。

本を全く知らない人も、所蔵する本が、特に本が[アラビア文字で書かれた]オスマン語で、しかも手稿のようなものであれば、ものすごく価値のあるものだと考える。あらゆるオスマン語の本が大きな価値を持つ[最初の印刷本である18世紀の]ミュテフェッリカ[版]の本のように重要なものだと考える。もしくは所有する本が有名な書道家の手になるものであると考える。手元に先祖伝来のとても貴重な本があると言う。その後、1-2枚のナイロンに包まれた本を出し、[ラテン文字への変更直前の]1927-28年[出版]くらいの普通の教科書が出てくる。その本は彼らが思うほど商売上、大きな価値を持つものではないと説明すれば、彼らはあなたたちを信用しない。昔の文字も分からないので、だまして本を安く買おうとしているという妄想に囚われる。 そのため、本を売る人たちと古本屋双方は大概お互いを「疑って」見ることになる。」

■豆を持ってきて愛の物語を持っていく

本書に寄稿したセイフェッティン・サーラム氏は、ダレンデ出身のある本屋について言及している。「その本屋がイスタンブルから持って来た民衆本を木のケースに詰め、ロバの背中に載せ、アナトリア全土を、鳥も飛ばずキャラバンも通らない山の中の村にまで行って、本をたまに現金と、多くは小麦や、蜂蜜、豆と交換していた。本を見る人たちをじっと見た後、『お客さん、愛の物語をお探しかい?それともケンカものをお探しかい?』と聞いていた。古い銅、 アンズの種、小麦やトウモロコシと本を交換することもあった。」

■本は妻のようだ

本書では、本愛好家とその妻との間にある試練について以下のように説明されている。「総じて彼らは、妻をかなり恐れている。または、妻は彼らが本屋や古本屋に行くことを禁じている。そして、この禁止は何年も前に決められたものだ。つまり許可されて古本屋に来るのではないが、[そのことを]おくびにも出さない。ある店で、タカウト・ルザーさんが20日前に亡くなり、遺体が故郷に送られたことがうわさされる。すぐに[遺族に連絡して]蔵書がどんなものなのかが聞かれる。夫が本を買うことをあまりよく 思っていなかった妻は、夫を見送るやいなや、夫の第一夫人で自身のライバルである本を処分してしまう。このように、世界で最も甘いものだと言われる復讐の果実の喜びを味わうのだ。家は広くなり、埃を取る大変さがなくなる。」

■ダヴトオール外相もかなりのコレクター

ルファト・バリ氏によると、アフメト・ダヴトオール外相も今日の有名なコレクターの一人である。ダヴトオール外相は2011年にワシントンを訪問した際に も、メリーランドにあるバック・クリーク・ブックスという本屋を訪ね、小包二つ分の本を買ったそうだ。2009年にスロベニアの首都リュブリャナを訪問した時にも、珍しい本を売るトゥルバリェフ・アンティクヴァリアトという本屋に2時間滞在し、15冊の本を買ったという。ダヴトオール外相は海外だけでなく トルコでも古本屋の常連客であるようだ。

Rıfat N. Bali,
Türkiye'de Kitap Koleksiyonerleri ve Sahaflar, Libra Yayınları.

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:30186 )