エルドアン首相によるゲズィ公園の処置を問う住民投票の実施は可能であるという発言は、国内で大きな反響を呼んだ。先日首相と面会を行った代表団のメンバーは、今後の動向に期待を寄せている。メンバーである有識者や俳優らは、以下にあるように、事態を収束させるべきという意見で一致している。
■ハサン・カチャン氏(芸術家)
「互いに投げかけがなされたからには、ゲズィ公園の仲間たちにもこの投げかけに返答して欲しいと思う。「あんたには関係ない」という態度をとる者もいるかもしれない。結局私も一人の父親であり、二人の息子がいて、彼らの友人たちがいる。51年間ドラップデレに住んでいる。もうそろそろ、このやり取りに結論が出てもいいと思う。デモ参加者の親たちや私は気が気ではない。特に息子は頻繁にゲズィ公園へ通っている。そこには彼の友人たちもいる。15日間もそこにいて、どんなことを経験して、何が起こったか。風呂もない、食べ物もないところで。排泄物の臭いが恐ろしく充満している。もはやゲズィ公園は人が暮らせる場所ではない。環境に敏感な友人たちにも、しかるべき一歩を踏み出して欲しい。」
■ゼフラ・オネイ氏(ソーシャルメディア専門家)
「とりわけ暴力をやめさせることの重要性を誰もが感じとった。面会に参加したメンバーは皆、誠意を持って自分の考えを伝えた。面会を終えて、私は今日娘に「ゲズィ公園には行かないように」と言うつもりだ。もう公園には行かず、君たちと一緒にいる別のグループだけが残ればいい。君たちの活動が目的を達成できるように。今後も、君たちの声を聞かせるための可能性と信用を残すべきだ。」
■ベトゥル・タンバイ氏(有識者)
「ゲズィ公園はただの38千メートル四方の公共の場では無くなり、一つの結束の地になった。この地点は、バランスポイントでも、ブレイクポイントでもありうる。選挙で多数票を獲得した政府は、これをバランスポイントにしていく責任と力がある。力関係で必要なのは、力のある者をより強くすることではなく、声の小さいほうに耳を傾けることである。今、公園で自由を求めている若者の声を聞くことは、一歩退くことではなく、むしろ一歩を踏み出し歴史を新しくすることである。対立者も周囲をも驚かせることができる。政府の分別と勇気が求められている。」
■ビルカン・ウシュン氏(ゲズィ公園保存美化協会会長)
「事態は法廷に移行した。司法プロセスが続いている。このプロセスが続いている限り、住民投票というのは有り得ないだろう。そうでなければ裁判所の役割がなくなってしまう。ならば裁判はやめるべきだ。住民投票の実施は法廷を尊重しないことになる。今回の事態は住民投票の対象にはならない。公園の木は生き物であり、誰もその命を取り上げる権利を投票に委ねることはできないと思う。」
■サビヒ・カナドオール氏(元最高裁主席検事)
「科学や文化・環境に関する問題や、基本的人権・自由に関することは住民投票の対象にならない。憲法は、唯一憲法改正が国民投票に委ねられるとしている。憲法や法律の規定、また高等選挙委員会のこの問題に関する決定や通達に対し、イスタンブルのゲズィ公園の処置を住民投票にかけるという試みは、世論をもてあそび誤らせ、さらにはいずれ裏切るような行為である。」
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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:30415 )