サイード・ヌールスィーが教えたホルホル・メドレセ、修復なる
2013年07月13日付 Zaman 紙


ベディユッザマン・サイード・ヌールスィーが1897年-1907年と1912年-1914年の間にメドレセとして用い、学生を育てたホルホル・メドレセが、98年後、金曜礼拝とともに礼拝所として開かれた。

多くのヴァンの人々が参加した金曜礼拝でヴァン県のムフティであるニメトゥッラー・アルヴァス氏は、信徒と相談し、週に一日、メドレセで授業を行うことを決めた。

ホルホル・メドレセとモスクは、ウラルトゥの時代に作られたヴァン城のすぐそばにある。名前はメドレセのわきを流れる水からとられた(注:ホルホルhorhorとは「豊かに流れる水」の意味)。ベディユッザマ ン・サイード・ヌールスィーは、ここをメドレセとして用い、学生を育てた。ヌールスィーは、ここの学生と共に第1次世界大戦の際、ロシアと戦った。ホルホル・モスクは、1915年にヴァンがロシア人に占拠され、アルメニア事件が起きた頃に完全に取り壊された。ヌールスィーは、戦後ヴァンを訪れてメドレセが壊されているのを見て、大変悲しんだ。ベディユッザマンはこの悲しみについて、「第26の閃光」の「第13の願い」の中でで述べている。

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:30790 )