オスターディー師:「シーア派信徒とは、人目のないところでも神を意識する者」
2013年07月18日付 Mardomsalari 紙
アーヤトッラー・オスターディー(「アフル・ル・バイト(預言者の一族)」通信http://abna.ir/より)
アーヤトッラー・オスターディー(「アフル・ル・バイト(預言者の一族)」通信http://abna.ir/より)

【同紙2面】ホウゼ(イスラーム神学校)高等評議会書記は、「目で見ること」は人間にとって大きな喜びであるとしたうえで、次のように発言した。

見ることによる罪を防ぐために、一部の欲望を抑えなければならない。例えば、テレビの前に座る時に、すべての番組がイスラーム的である[イスラームの教えに適っている]と思い込まないことだ。なぜなら、これまで決してそのようではなかったし、[現在でも]イスラーム的でない番組が散見されるからである。

ホウゼ通信によれば、アーヤットッラー・レザー・オスターディー師[※1]はゴムの大モスクに集まった集団礼拝の、また、断食中の信徒らに対して、自身の一連の倫理的な議論を引き続き展開するなかで、シーア派信徒のいくつかの特性に言及してこう述べた。

訳注1:レザー・オスターディー師は、1937年生まれ。シーア派の最高位「大アーヤトッラー」に次ぐ高位の「アーヤトッラー」の称号をもつ指導者で最高指導者専門家会議メンバー。2012年に第6期「イスラーム神学校諸校関連施設・高等評議会」書記に選出される。同評議会は、7人以上の法学者から構成される。任期は4年。

シーア派信徒とは、誰もいないところでも常に神を意識する者のことである。なぜなら、自分ひとりでいるときでも[人目がないところでも]、神を思うことは、罪を避けることになるからである。

彼はまた、以下のように強調した。

見知らぬ男女[※2]は、いかなる理由があっても同じ空間に居てはならない。なぜなら、そのような空間は、悪魔の空間なのだ。しかし、残念ながら一部の人々はそうしたことに注意を払っていない。

※訳注2:より正確には互いに結婚することが「禁忌(ハラーム)」ではない男女。すなわち、近親者(親子・兄弟姉妹・夫婦)以外の男女。

 ゴムの金曜礼拝導師であるオスターディー師は、貧しい人々の救済の必要性を強調し、「なぜ豊かな人々は貧しい人々に救いの手を差し伸べないのかと不平を言うなら、少なくともわれわれ自身がこのことを守らねばならない」と述べた。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。
 

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( 翻訳者:8411122 )
( 記事ID:30899 )