始まりは一本の通報の電話だった。ウムラニエにあるスラム街の家で押収された手榴弾によって始まったエルゲネコン裁判は、明日結審する。
イスタンブル第13重罪裁判所により、2008年11月20日にシリヴリ刑務所管内で第一回目の審議が行われて以来、23件の起訴状が1本化され、650回の審議が行われた。前参謀総長のイルケル・バシュブーら、拘束中の66人を含む278人の容疑者について、明日、判決が下される。これまでの歩みをたどってみよう。
イスタンブルのウムラニエ区チャクマク街区のゲジェコンドゥ(一夜建て)で2007年6月12日に押収された27個の手榴弾により始まり、トルコの話題の中心に位置してきたエルゲネコン捜査に関する主要部分の裁判は、結審を迎える。イスタンブル第13重罪裁判所は、278人の被告に対し、明日、判決を言い渡す。278の内、CHPの国会議員であるムスタファ・バルバイ、メフメト・バベラル、シィナン・アイギュン、元参謀本部長イルケル・バシュブー大将を含む66名が拘束中である。警備上の理由で2008年11月20日に、シリヴリ刑務所管内に特設された法廷ではじまり、23件の訴えが1本化されたことにより、650回の審議が行われた裁判の結果、「エルゲネコン・テロ組織があったのか、なかったのか」に関する最初の判決が下されることになる。エルゲネコン捜査の一環で告訴されたオダTV裁判、およびポイラズキョイで押収された武器に関する裁判は、継続する。
■結審の後、何がおこるのか?
裁判所が判決を下したのち、判決文書が作成される。判決文書が、原告・被告に通達されたのち、書類は地方裁判所の下した判決の点検のため最高裁に送られる。最高裁が地方裁判所の決定を承認すると、決定は確定する。もしも最高裁が承認しない場合は、文書は再審査のため、地方裁判所に戻される。
■1本の電話により始まった
全ては、事件の被告で保釈中のアリ・イイトの父親シェヴキ・イイトが2007年6月12日にトラブゾン軍警察司令部にかけた電話での通報をうけ、2007年6月12日にウムラニエのゲジェゴンドゥで、27個の防衛用手榴弾と、薬莢、発火装置が押収されたことによって始まった。
■起訴状は13ケ月後
捜査が始まって13月がたった2008年7月14日に最初の起訴状が提出された。エルゲネコン捜査に関し作成された2455ページの、第一起訴状が2008年7月25日に受理され、最初の裁判が始まった。
■クーデター容疑
起訴状では、エルゲネコン・テロ組織は多くの分野で組織化を終えており、組織の首脳部は一般社会や国家のなかで要職を占める人々からなっていると主張された。目的の達成のため、あらゆる非合法の手段を使うことを原則とし、必要な武器や弾薬、その他の物資を容易に準備し、行政裁判所襲撃事件をはじめとする多くの暗殺を計画していたとされた。エルゲネコン・テロ組織は、トルコ共和国政府に対する民衆の武装蜂起を扇動し、武力や暴力を使ってトルコ共和国政府を、武力で倒そうとする試みであるという。組織の手にあるメディアや市民団体を使って、トルコにカオスと内戦状況を作り出そうとしていると主張。こうして生み出される緊張を利用して、現政権の機能を奪い、最終的に、軍内部にある、自分たちを支援する軍人らの助けにより、政府を転覆させる目的で、政府を攻撃することを試みていたと主張された。
■法廷審議は、刑務所管内で行われた
「世紀の裁判」と呼ばれたこの裁判は、警備上の理由で、2008年11月20日、シリヴリ刑務所管内の、法廷ではじまった。4年10か月続いた審査全体は、音声及び映像で記録された。
■2455ページの要約が、40時間で読み上げられた
2008年11月20日始まったエルゲネコン裁判の、2455ページの起訴状の要旨が、共和国裁判官であるメフメト・アリ・ペキギュゼルとニハト・タシュクン両氏により、まるまる8日間かけ40時間で読みあがられた。エルゲネコン裁判に統合された別のいくつかの裁判の起訴状は、TRTのアナウンサーによって読み上げられた。
■「エルゲネコン」の語の起訴状からの削除要請
容疑者の多くは、トルコの伝承あるエルゲネコンの語をテロという語と結び付けて使うことへの不快感を表明した。このため、エルゲネコンの語を起訴状から削除することが求められた。しかし、この要請は裁判所によって拒否された。起訴状は、『知られざるメヴラーナー』と『アガルタからエルゲネコンへ』という名の本からのコピーペーストで作られたものだという疑念も提起された。
■バシュブー元参謀総長は、弁論拒否
容疑者らは、容疑を否定した。2012年3月27日に弁論の機会を与えられた拘束中の被告の一人、元参謀本部長イルケル・バシュブー大将は、弁論は行わず、質問に答えないとした。審議ののち、最後の弁護の機会として弁論席に呼ばれたバシュブーは、自分はこの審議と何の関係もないと述べた。
■「いわゆるエルゲネコン・テロ組織」
エルゲネコン・テロ組織の存在はこれまで証明されず、その存在を確定するような法廷の決定はないとする裁判団は、「エルゲネコン・テロ組織」の語のかわりに、「いわゆるエルゲネコン・テロ組織」と呼ぶことを決定した。この形以外の使い方には、罰則措置をとるとした。
■疑念の最大の黒幕は、見えないまま
裁判所は、国家諜報局事務局によって準備されたとされる、政治家、実業家、軍人、メディア関係者からなる69人の名前の載っている、問題の「エルゲネコン計画書」の全容の提出を、捜査を担当したイスタンブル共和国検察庁および国家諜報局に求めれた。しかし、検察により裁判所に提出された文書によると、計画書に記された人物の一部についてのみ、捜査は行われたとされた。裁判所は、これをうけ計画書を公開をしないことを決定した。このため、組織の最大の黒幕がだれであったかは、捜査を行った検察官と裁判長以外には知らされないことになった。
■公正発展党も、審議に参加
公正発展党(AKP)、ヒュセイン・チェリキAKP副党首、ジュムフリイェト新聞、シェブネム・コルル・フィンジャンジュ法医学協会専門医、アリ・バルクズ・アレヴィ=ベクタシ協会会長、弁護士でアレヴィ=ベクタシ協会事務局長のカズム・ゲンチ、行政裁判所襲撃の被害者ムスタファ・ビルデン行政裁判所第二法廷裁判長、行政裁判所第二法廷裁判官のアイフェル・オズデミルとアイラ・ギョネンチ、行政裁判所第二法廷調査官のアフエト・チョバンオールも、「事件から被害を受ける可能性があった」として、参考人とした裁判に参加した。
■最初の保釈は、17か月半後
エルゲネコン裁判でテロ組織メンバーとの疑いで取り調べらえrたマフムト・オズチュルクは、最初に釈放された被告となった。オズチュルクは17か月半後に釈放された。審議の過程で、ギュルビュズ・チャパン、アーディル・セルダル・サチャンをはじめとする65人が釈放された。
■被告数は278人
被告数86人で始まった主裁判と、エルゲネコン捜査の一環で告訴された22の裁判は合体させられた。この結果、エルゲネコン主裁判の容疑者数は278人となった。
■逃亡中の容疑者に逮捕決定
未逮捕の容疑者のうち、ムフタファ・バクジュ元准将、イェデテペ大学創設者のベドレディン・ダラン、元AKP国会議員のトゥルハン・チョメズとサイピル・デブェヴィズデに関し、逮捕令状がだされた。
■統合された裁判
第一エルゲネコン裁判、第二エルゲネコン裁判、第三エルゲネコン裁判、行政裁判所襲撃裁判、「愛国者軍連合 (VKGB)」裁判、アルパスラン・アルスランに行政裁判所襲撃で用いたグロック製銃を販売したことについての裁判、フェネル・ギリシャ正教会バルトロメオス主教暗殺計画裁判、担当検察官ゼケリヤ・オズ脅迫関連の裁判、ジュムフリイェト紙火炎瓶事件裁判、シヴァスの貴金属商ミナス・ドゥルマズギュレル暗殺裁判、ユスフ・エリケル弁護士を含む8人の容疑者に対する裁判、「反動との戦い行動プラン」裁判、インターネット偽証裁判、労働者党ドウ・ペリンチェキ党首とその子メフメト・ボラ・ペリンチェキに対する裁判、シレでの発見された軍事物資裁判、容疑者レヴェント・エルソズ元准将暗殺未遂裁判。
■650回の審議
2008年11月20にイスタンブル第13重罪裁判所で始まった裁判は、統合された訴えの審議を合わせ、650回の審議を行った。
■160人が証言
ヒルミ・オズキョク元参謀総長、退役大将のテオメン・コマン、エルギン・サイグン、元国家諜報局員のメフメト・エイミュル、マフィアのボスの一人アラエッティン・チャクジュをはじめとする160人が証言をした。テロ組織PKKの元幹部シェムディン・サククを含む31人の秘密証人も証言した。「秘密証人デニズ」とコード名で呼ばれたサククは、証言をする前に実名を明かした。サククは、「自分が本気であることを示すために名前を明かした。密告者のように言われることは恥だ」と述べた。
■2271ページ分の意見書
審議にあたったメフメト・アリ・ペキギュゼル、ニハト・タシュクン、ムラト・ダルクシュの3検察官は、裁判がはじまって4年半後に、裁判についての意見書を作成した。3人の検察官により4か月の作業の結果作成された3分冊からなる2271ページの意見書によると、エルゲネコンと名付けられたテロ組織の存在は明らかであるとされた。
■重罰終身刑の求刑
裁判の被告のうち、元参謀総長のイルケル・バシュブー元大将、CHPの国会議員であるムスタファ・バルバイ、メフメト・バベラル、シィナン・アイギュンを含む64人については、政府転覆計画罪により、重罰化した終身刑が求められた。意見書では、最高裁内規により、「政府転覆罪」により罰される被告は、武装テロ組織罪によっては罰せられないと記されている。
■5人に、無罪の要請
エルゲネコン捜査のきっかけとなった27個の手榴弾のあったウムラニエのゲジェコンドゥの持主、アリ・イイトと、アデム・ウズン、エルダル・イルテン、サーリフ・クンテル、シュレイマン・エセンについては、無罪判決とするよう求められた。
■最終弁論の時間制限
検察が意見を表明したのち、最後の弁論を行った容疑者に対し、裁判所はその時間を制限した。裁判所は、最後の弁論を行うため被告に対し1時間か2時間の時間を与えたが、これには、被告本人、および、弁護人が、裁判文書が何百万ページもあることを理由に抗議した。2013年4月15日に始まった最終弁論で、210人の被告が発言した。フェルダ・パルシュトをはじめとする一部の非拘束の被告は、審議には参加せず。文書を提出する方法を選んだ。審議では、52人の被告に対し、(罪を認めるかどうかの)最後の質問がされた。
■国家諜報局職員を法廷で裁くための許可
裁判の被告のうち、国家諜報局職員のオゼル・ユルマズの裁判は、国家諜報局職員の裁判に関する法の変更に伴い、首相に裁判にかけるかどうかの許可を求めるため、止められた。首相府はこれに対して許可を与えたため、ユルマズへの裁判は別件の裁判として、引き続き行われる。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:31074 )