エルゲネコン裁判の判決で、裁判官はCHP(共和人民党)のゾングルダク県選出国会議員のメフメト・ハベラル教授を含む17人に保釈の決定を下した。保釈されたハベラル教授を刑務所の前で報道陣が待ち受けた。ハベラル教授は、ここで短い会見を行い、「願わくば、すべての私の友人と一緒にここから出たかった」と述べた。一方、拘禁されていたセダト・オズエル被告、メフメト・ボラ・ペリンチェキ被告とイブラヒム・オズジャン被告は、エルゲネコン裁判が開廷されたイスタンブル第13重罪裁判所から保釈の決定を下され、スィリヴリ刑務所を離れた。
メフメト・ハベラル教授は、いわゆる「クーデターを首謀した」罪で加重終身刑に問われたエルゲネコン裁判で12年6ヶ月の懲役刑を受け、勾留された期間を考慮されて保釈された。保釈されたハベラル教授を刑務所の前で報道陣が待ち受けた。
ハベラル教授はその後、車で刑務所から離れたが、約5キロ進んで車を停めてCHP国会議員と抱擁を交わした。「とても残念なことは、わたしの友人たちがそこ(刑務所)に残っていることだ。願わくば、すべての友人たちと一緒にそこから出たかった」と語った。
入手した情報によれば、アンカラへまっすぐ向かったハベラル教授の車には、アキフ・ハムザチェビCHP会派副代表も同乗していた。
■熱狂的支持者が車列の前を塞いだ
メフメト・ハベラル教授が乗った車は、スィヴリ刑務所から出た後、ヨーロッパ横断自動車道(TEM高速)に繋がる道に入った。クナル料金所を通過した後、熱狂的支持者が車列の前を塞いだ。ハベラル教授は車から降りて、記者や待ち受けていた人たちに話しかけ、「まず、緑と自然、自由を味わいたい。緑と自然を心ゆくまで堪能した後、どこに行くか決めたい。私たちは自由の価値を知る必要があります。(刑務所)の中にいる友人たちが(全員)出られなかったことをとても残念に思います。これ以上、話したくありません」と述べた。CHP国会議員であるハベラル教授の近くにいた前MHP(民族主義者行動党)のデニズ・ボリュクバシュ副党首も「アンカラへ行き、先生を家族に再会させたい」と述べた。
■保釈後、初めてのイフタール
メフメト・ハベラル教授は、19時に保釈されスィリヴリ刑務所を出て、高速道路でアンカラへ向かった。ハベラル教授と近しい人びとが乗った10台から成る車列が同行した。ハベラル教授は刑務所を出てから後、高速道路を使ってアンカラへ向かう道に出て、車列の人々ととともにクルトキョイ・軍人財団の施設へ行き、事前に準備されたテーブルでイフタールの食事をとった。メフメト・ハベラル教授はイフタールで、スープ皿半分の豆スープとライスプリンを食した後、電話をかけてきた親友らと長いおしゃべりをした。ハベラル教授は、陽気で元気にあふれているように見えた。ハベラル教授は以下のように話した:
「(私のことを)気にかけてもらい、大変ありがとうございます。私が望むことは、そこ(刑務所)にいる他の友人たちと一緒に(外へ)出ること、このバイラムを一緒に祝うことです。私にとって、このバイラムはとても悲しいものです。結果として、私が願うことは、国がこの行き詰った状態からできるだけ早く脱することです。なぜなら、自由は世界で最も美しいことであり、正義であるからです。自由と正義がない場所には幸せはありません。従って、私たちの自主性、人権、自由を守ります。もちろん、第一に国を、誰もが守ってください。この国をつくり上げたアタテュルクと彼の友人と聖なる殉職者に敬意を払い、彼らにふさわしい振る舞いをしましょう。それが私たちの願いのすべてです。」
メフメト・ハベラル教授は、熱狂的支持者の一人一人と抱擁を交わし、彼らとしばらく談笑した後、アンカラへ向けて再び車に乗り込んだ。
(略)
■保釈された3人の被告はスィリヴリ刑務所を出た
エルゲネコン裁判が開廷されたイスタンブル第13重罪裁判所から保釈の決定を受けたセダト・オズウル被告、メフメト・ボラ・ペリンチェキ被告、イブラヒム・オズジャン被告は、スィリヴリ刑務所から出た。セダト・オズウル被告は、「2年前に話したことと全く同じことを今も私は話しています。すべてのことは 私たちが(正しかったことを)確証させた。他の友人たちにも良いことがありますように」と述べた。
■ペリンチェキ:ここで絶望することはない
スィリヴリ刑務所の前で、拍手で迎えられた労働者党のドオウ・ペリンチェキ党首の息子であるメフメト・ボラ・ペリンチェキ氏は裁判の判決を批判した。ペリンチェキ氏は、「トルコ国民はの行政裁判所の殺人者に自由が与えられること、トルコの知識人や、将校に終身刑が科せられるこを許さない、これを承認しない。だから、ここで絶望することはない」と話した。ペリンチェキ氏はその後、裁判所の前で待っていた母のシュレ・ペリンチチェキさんに抱きしめられた。
■ドアン元大佐「大変落ち込んでいる」
エルゲネコン裁判で47年の懲役刑を宣告されたが、健康状態と年齢を理由に居住地を変えないことで司法の監視下に置かれる決定を受けた非拘束の被告のアリフ・ドアン元大佐は刑務所を出るとき、記者団と会見を行った。ドアン元大佐は、判決に反発し、エルゲネコンを知らないと話し、「大変落ち込んでいる」と語った。
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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:31089 )