ヤズディー派文化センター、開設―マルディン県ミディヤト
2013年08月16日付 Hurriyet 紙
マルディン県ミドゥヤト郡のヤズディー派の人々が暮らすギュヴェン村に完成し、ミドゥヤト郡の名産であるカトリナイト石(パイプストーン)で建設された2階建ての「カスラ・バジュネ文化センター」が、オープニングセレモニーとともに一般開放された。
クルド語やドイツ語、英語、そしてベルギーの言語などで「ようこそ」と書かれた文化センターのオープニングセレモニーは、アルタン・タン平和民主党(BDP)ディヤルバクル県選出議員やシュルヤニ・エロル・ドラマルディン県議員、セリム・パラムトマルディン県副知事、そしてヤズディー派やキリスト教、ムスリムの宗教家らとともに行われた。
この地域で頻発するテロや暴力事件によりヨーロッパに移住するヤズディー派の人々が絶えない中、彼らが暮らすミドゥヤト郡のギュヴェン村にヤズディー派の人々によって建設された2階建ての「カスラ・バジュネ文化センター」は、そのオープニングセレモニーの開催により一般開放された。このオープニングセレモニーには、BDP所属のシュルヤニ・エロル・ドラ議員やアルタン・タン議員、セリム・パラムトマルディン県副知事、テキン・エルデミルミドゥヤト郡知事兼オメリ郡知事、イラクのクルド人自治区でヤズディー派の代表を務めるハイリ・ボザニ氏、元ドイツ左翼党議員でミドゥヤト郡出身のヤズディー派であるアリ・アタラン氏、そしてヤズディー派やキリスト教、ムスリムの宗教家らを始め、多くの招待客が参加した。
■ヤズディー派もこの地における最古の信仰の一つである
文化センターの後援者でありドイツ左翼党の元議員であるヤズディー派のアリ・アタラン氏は、ヤズディー派の歴史においてこのような文化センターの開設はこれまでなかったと述べ、以下のように話した。「本日のように官僚の方から政治家、企業家の方からオピニオンリーダーに至るまで、あらゆる人々が参加することも今まで目にしたことはありません。この文化センターの開設と皆さまのような著名な方々がこのオープニングセレモニーに参加していただいたことは、われわれにとって新たなプロセスの始まりを意味しています。このことはヤズディー派の人々に希望を与え、彼らを歓喜させるでしょう。この状況は、ヤズディー派の人々が祖国に帰るプロセスを加速させることになるでしょう。この国では、この大地からある一つの花が失われていました。シリア正教徒やその他の宗教グループのように、ヤズディー派もまたこの地における最古の信仰の一つであり、最古の宗教グループの一つなのです。このグループがこの土地から離れることは、人道的に大きな恥となったでしょう。ヤズディー派の人々が再び祖国に帰ることや、故郷で暮らしたいという意志、そしてそれに向けた取り組みは、みなさんによって促進されていると見るべきです。ヤズディー派はこの度始められた融和プロセスを、全力で支援しています。この解決策は、同時にヤズディー派にとっても自由や平等、そして公正さをもたらすであろうと願っています。国において平和や安定、そして民主主義が成り立たなければ、いかなる社会も安心することはできません。」
■副知事:「異なる文化はわれわれに力を与えてくれる」
セリム・パラムトマルディン県副知事は、この地域に根付く異なる文化がそれぞれ生きていることを喜ばしく思うと述べ、以下のように話した。「このセンターのためにすべての建設費用がここに集まり、そして国外にいるバジュン(ギュヴェン)村の人々も集ってくれました。われわれはいつも、マルディンは宗教の都市であり、文化の都市であると公言しています。ここには多くの文化が根付いています。これらの文化の存在が、われわれに力を与えてくれます。これらの文化を存続させるため、いかなることが降りかかろうともわれわれは対処する用意ができています。これらの文化はわれわれの豊かさそのものです。誰もがこれらの文化を次の世代に伝えるため、こうした文化センターの建設や文化が伝承されるときは、美しい善行をしたという表情になります。新しい世代にこれらの文化を継承するためにも、こうした場所が必要なのです。このような素晴らしい遺産を作り出すために尽力されたバジュン村の人々や、今この場にいらっしゃる方々、そして国外で暮らす方々に感謝の意を述べます。」
■歴史の過程で祖国を去らざるをえなかった
このオープニングセレモニーにおいて最後に挨拶をしたBDPのシリア正教徒であるエロル・ドラマルディン県議員は、文化センターがヤズディー派の文化や信仰を存続させるという観点から最も重要であると述べた。メソポタミア地方において非常に重要な集団であるヤズディー派の人数が、近年非常に減少していることに注目したドラ議員は、以下のように話した。「われわれが長い間共に暮らしてきたヤズディー派の人々は、つまりわれわれの兄弟たちは残念ながら歴史の過程で祖国を去らざるをえなくなってしまいました。同時にシリア正教徒の数も減少したように、ヤズディー派の兄弟たちの数もまた、非常に減少しています。この点から、ここで文化センターがオープンしたことを、われわれは歴史が前進した一歩として評価するとともに重要視しています。再びヤズディー派の文化や信仰の第一の祖国となり、ここで再び育まれ、そして再び他の市民らとともに兄弟の絆の中で暮らしていくことをわれわれは願っています。」
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:31187 )