ナイル賞受賞の詩人ヒジャーズィー氏
■エジプト国家賞はどうなったのか?
【カイロ:サルワー・アブドゥルハリーム】
エジプトの国家賞受賞者の名前は先月末までに発表されるはずだった。しかし文化省が、大多数が政治的イスラムの潮流に属する諮問議会【注】寄りの姿勢を取る「同胞団の大臣」の下に置かれたことから生まれた危機的な状況、および賞金の削減により、それは困難になった。その後、同胞団の支配に終止符を打つ、6月30日の蜂起が起き、文化相の座はムハンマド・サービル・アラブのもとに戻った。今年はこの賞が取り消されるのではないかと取りざたされるなか、同文化相はおとといの月曜日を受賞者名発表の日程に定めた。前例としては1967年6月5日の戦争で取り消されたという歴史があるが、いずれにせよ、今年はこの賞の投票に関し、投票権を持つメンバーの構成に関しても、候補となる権利を持つ側に関しても、特に本質的な変更はなく、新しい展開はない。ひとつだけ変わったことがあるとすれば、それは投票前に出された候補者リストの短さであろう。
1月25日革命以前にそうであったように、投票は文化最高評議会の61名のメンバーが出席するなか、文化相の率いる会議で、直接投票によって行われる。文化最高評議会の約半分は「公的人物」であり、他の半分は文化省に属する諸機関の長のほか、各省および職業組合の代表が占める。革命の失敗およびムバーラクとその時代の文化相であるファールーク・フスニーの時代への回帰について取りざたされているが、それは投票結果に大きく反映された。文学の領域では、詩人のアフマド・アブドゥルムウティー・ヒジャーズィーが最高の賞である「ナイル賞」を取ったが、この賞はムバーラク賞という古い名前が取り消されたこと以外、革命の産物という点は何もない。賞金は40万エジプトポンド(約66,000ドル)と金メダルである。
(中略)
法律によって定められた受賞者名発表の期日は6月より前である。それはエジプトにおける財政年度の終わりよりも前ということだ。しかしながら、最近文化省は危機的な状況にあった。そうすることで同胞団の支配を受け入れたと解釈されることがないよう、(同胞団系の)アラー・アブドゥルアズィーズ前文化相が率いる会議への出席を文化最高評議会のメンバーの多くが拒否すると伝えると、前文化相は会議の日程を決定することを拒否したのである。とくに先の6月に解散された諮問議会が文化最高評議会の代表と会談した中で、文化省の予算一般とともにこの賞の賞金を減らそうとしたあと、エジプトの文化人の集団を捉えたのは、1967年以来初めてこの賞が取り消されるのではないかという懸念である。このため現在の暫定政権の文化相は、財務省の下で賞金の復活に苦労することになった。それはおよそ700万ポンド(約100万ドル)である。
投票の結果、ムハンマド・ナーギーおよびムハンマド・マジュリーという二人の作家の文学部門の優秀賞の受賞が決まった。賞金は10万ポンド(約13,000ドル)である。また舞台監督のイサーム・サイイドと脚本家のカラム・ナッジャールが芸術部門で受賞、また社会科学部門では、ハサン・イマード・マッカーウィーとサフィーッディーン・ハルブーシュが受賞した。
奨励賞は32に及び、賞金はそれぞれ5万ポンドだが、その多くが該当者なしとされた。文化最高評議会の事務総長であるサイード・タウフィーク氏は、候補として挙げられた作品が受賞に値するレベルに至っていないと、委員会が判断したことがその理由であると語った。文学部門では、「海が彼の名を知る前に」という短編集で知られている作家のムハンマド・ファフラーニー、「海のベールから」という詩集で詩人のムフラフ・カリームに、また「我らの主人」という歴史小説で作家のムハンマド・アウンに奨励賞が与えられた。
【注】諮問議会の3分の1は大統領指名の議員が構成する。
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Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:31284 )