MİT(国家諜報機構) の調整で、アブドゥッラー・オジャランと続けられた新しい交渉プロセスの重要な要件の一つである民主化法案は、オジャラン自身やPKK(クルディスタン労働者党・非合法組織)の幹部及びBDP(平和民主党)のスタッフが幾度も述べていた要求の大部分を含んでいない。
法案のどの項目がオジャラン、PKK、BDPの要求に直接対応しているのか、以下のように要約される。
■選挙最低得票率制限とBDPの議席数
選挙最低得票率制限を5%に引き下げる、あるいは撤廃することは、10%の選挙最低得票率制限により総選挙に無所属候補者として参加しているBDPに直接影響を与える。世論調査で、得票率が7-9%の水準にあるBDPは、選挙最低得票率制限の引き下げあるいは撤廃がなされれば、選挙に政党として臨むことができる。2011 年の総選挙に基づいて、東部と南東部の県の総議員数は110人である。選挙最低得票率制限の引き下げあるいは全廃と小選挙区制で、BDPスタッフのは、「110人の国会議員のうち50人は簡単にとれる」と予測している。BDPは、イスタンブル、メルスィン、イズミル、アダナのような地域以外の県で獲得する国会議員の数も増やせると考えている。
■国からの財政支援とBDP
選挙最低得票率制限問題を発生させないため選挙に政党として参加するには、BDPは、「国からの財政支援」を得る必要があり、それにより目の前の障害が取り除かれるであろう。国からの財政支援のために必要である得票率が7%から3%へ引き下げられることが計画されており、すべての条件で3%の選挙最低得票率を超える可能性のあるBDPは国からの財政支援を獲得することになるだろう。
■デミルタシュ―クシャナク体制に向けた改正
BDPは共同党首制へ「非公式」に移行した最初の政党であった。法的にハッキャーリ県選出のセラハッティン・デミルタシュ国会議員がBDPの党首として認められていたが、その地位をスィイルト県選出のギュルタン・クシャナク国会議員とともに共有していた。今回の法案により、クシャナク議員もBDPの公式共同党首となりうる。
■クルド語教育を実施する学校
BDPが固執していた「母語での教育」要求に対し政府は、「私立学校で異なる言語と方言での教育を実施する」と後退した。この「部分的」な調整により、例えば、ディヤルバクルで開校される私立教育機関でクルド語教育が行えるようになる。ワクフ大学が、「私立大学」に移行することを盛り込んだ法改正が行われた場合、クルド語教育を実施する私立大学機関設立の道も開かれうる。
■BDPと町での組織を開拓する条件
BDPは、東部と南東部の県での組織化に問題はなく、クルド人の強制移住によって(クルド人口が)増えた西部の県で組織化の問題を抱えている。BDPは、「ひとつの郡で組織化するためには、郡境内にある町の最低半分に支部をつくらなければならないという規定の撤廃」により、組織化が容易になる。BDPは、特にマニサ、ブルサ、アイドゥン、ムーラ、コジャエリ、サカルヤのようなクルド人口の多い県で町支部を設置する重荷から解放される。
■クルド語プロパガンダ
BDPは、様々な言語と方言での政治的プロパガンダが可能となれば、クルド語や、クルド語の様々な方言、地域で話されている他の言語で政治的プロパガンダを行えるようになる。クルド語の基本文字の中にある「Q, W, X」の使用に対する刑罰の撤廃は、BDPに直接関わる改正である。BDPが「『私たちの誓い』をやめよう」キャンペーンを展開し、反対していた「私たちの誓い」も廃止される。「私はトルコ人である。正しく勤勉である」という言葉ではじまり、とりわけクルドの政治運動において「ファシズム」の実践とされてきた「私たちの誓い」は、今後よみあげられることはない。
■では、何が足りないのか
BDPの期待に応えていない部分で、一番に挙げられるものは、特にKCK(クルディスタン社会連合)関連の逮捕者、受刑者の状況に関する改正である。エルドアン首相によって明らかにされた法案で、KCK関係者に関連する改正はなかった。オジャランの(刑の)執行要件の変更、地域での警察署などの建設作業を停止する宣言、村落警備兵の廃止、いかなる武力活動に関わらなかった者と、病気のKCK関係者の釈放、母語教育の公立学校での実施、TMK(テロ対策法)とTCK(トルコ刑法)の一部条項の撤廃のような要求には法案は対応していない。
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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:31571 )