エキョニョミ?―AKPチェリキ副党首からMHPバフチェリ党首へトルコ語発音発言
2013年10月24日付 Radikal 紙
「私は7歳でトルコ語を学んだ」と発言したことで、民族主義行動者党(MHP)党首の批判を受けた公正発展党(AKP)ヒュセイン・チェリキ副党首は、MHP党首に対して、ある証拠を示してこうやり返した。「私は今日まで、偉大なバフチェリ氏(MHP党首)がエコノミ(ekonomi)と言うのを聞いたことがない。いつも『エキョニョミ』と聞こえる」
AKPスポークスマンのヒュセイン・チェリキ副党首は、記者たちに会見を行っていた。ヒュセイン・チェリキ副党首の会見のトピックスは以下の通り。
「バフチェリ氏は、『トルコ語を7歳で学んだ』と私が言ったことを批判しました。私は7歳でトルコ語を学んだとお話ししましたが、それは一つのトルコの現実をお話ししているのです。私は、故ゼキ・ミュレン氏(訳者註:1970~90年代に活躍した人気男性歌手。派手な衣装やメイクでも関心を集めた)ほど、上品なトルコ語を話すような人物ではありません。(バフチェリ氏は私が)調子はずれの声で、ドアがキーキーいうように話すと言っているようです。アクセントも東部訛りですが、バフチェリ氏には南部訛りがあります。
私はバフチェリ氏が今日までエコノミと言っているのを聞いたことがありません。いつも「エキョニョミ」と言っている。私は楽器なんかではないので、(調子はずれだからと言って)誰も調子を整えることはできないのです。私がクルド語の名前を名乗るつもりなのかどうか、ということを言っているらしいです。私の名前はヒュセインですが、デヴレト・バフチェリ氏の名前のデヴレトはアラビア語で、バフチェはペルシャ語です。かれ自身が名前の語尾に「リ(訳者註:所有を表すトルコ語の接尾辞)」をつけたそうですが、結構なことではないですか……私は自分が7歳で学んだトルコ語も、父が祖母と話していたアラビア語にも、尊敬の念を持っています。
■バフチェリ氏の博士論文を見てみてください
私の博士論文はその道の大家らによって優秀として認められました。最も素晴らしい(学術)出版社の一つであるイレティシム社が、私の800ページにも及ぶ論文を一文字さえも変えずに出版しました。さあ、バフチェリ氏の論文を見てみてください、そして尋ねてください、私は博士号をとりましたが、「この論文は修士論文として通るでしょうか?」と。
平和民主党(BDP)幹部は、アブドゥッラー・オジャラン氏がテレビを見ていることを知り、それ以来種々の非現実的な言葉で彼への忠誠を示そうとしている。
■内閣再編のうわさ
私が首相から受ける印象では、大規模な内閣再編が行われるとは思ってはいません。しかし、最終決定は、首相が下すでしょう。
■ODTÜ議論
ODTÜ(中東工科大学)は我々のものであり、アンカラ広域市も我々のものです。中東工科大の土地は、メリフ・ギョクチェキ市長のものでもなく、中東工科大の学生のものでもありません。公共のものなのです。組織は永遠ですが、人間には限りがあります。中東工科大の森は公共のものです。首相府の建物も公共のものです。
■「ギョクチェキ市長は最後の審判の日まで市長職に留まることはできない。」
1994年のムラト・カラユラン……失礼、ムラト・カラヤルチュン市長時代の建設計画について話しましょう。中東工科大は国に属しています。メリフ・ギョクチェキ市長は最後の審判の日まで市長職に留まることはできないのです。交通渋滞で市長に対し我慢できなくなるはずです。
■「困惑した」
中東工科大は2万5000人規模の団体です。あの騒音集団はこの25分の一なのです。あの場にいた学生の、何かに抗議するという心持には敬意を払います。裁判所が何らかの決定を下すのなら、メリフ・ギョクチェキ市長もそれに従うことになります。中東工科大の森もエイミュル湖も市民のものです。学長の会見にも困惑しました……「他の場所も自分たちから奪おうとしている」と言っています。エイミュル湖へ中東工科大の職員たちは入っています、あるいはお金をもらっています。アンカラの人々がそこへ入ったらどうなるというのでしょう」
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( 翻訳者:加園千尋 )
( 記事ID:31774 )