イラン・バレーボールを彩った外国人コーチたち(3):もうひとりのパクとイタリア人アナリストたち
2013年10月15日付 Jam-e Jam 紙


【ジャーメジャムオンライン・スポーツ版】イランに招かれた外国人コーチらが直面する問題は、連盟のあらゆる部署がコーチらの活動に干渉することであった。したがって、イランに来た外国人コーチらは、これに対して、チーム外部の者たちの言葉や考え方に踊らされまいと必死で抵抗するはめになった。イムとソングもこの悪循環に陥ってしまい、多くの弱さを露呈する結果となった。また、イワンは、一方では英語ができなかったため、自分の考えを随時表現することができなかった。また、他方では、周囲からの干渉によって、自身の技術指導の軸足を徐々に失ったのである。

イランのバレーボールの専門家[ジャムシード・ハミーディー]は、外国人コーチの存在によってしばしば起こるこの手の問題について、次のように発言する。

一部の者たちは、つねに、外国人のコーチの指導の下にあるチームの全体に対し外部から細かく口を差し挟んだ。イムは、独立性がないことに対し、不満を持っていた。

これは、コーチ生活の最後をイランで送ったイワンの運命でもあった。イワンのようなコーチらは年を取るに従い、いかなる条件下であれ、コーチ業を続けることを選んだのだ。イラン・バレーボールから去り、故国へ戻ることは、失業とリタイヤを意味していたからである。

パク・スウォンの時代から、パク・ギウォン[※2002-2005年イラン代表監督。現韓国代表監督]の指導が始まるまでに20年の年月が流れた。しかし、バレーボールの有能なコーチと専門家らは、イラン・バレーボール史上のこの二人の韓国人コーチを褒めそやす。パク・ギウォンは、12年間イタリアで指導を行い、イタリア・バレーボールの奥義についても熟知していた。したがって、彼の存在は、イラン代表選手らの技術向上という点では非常に価値あることであった。

ジャムシード・ハミーディーもこの点を強調している。

パク・ギウォンはイタリアで指導していた。気難しくて人あたりも悪く、杓子定規で、周囲とうまく関係を築くことができなかった。しかし、指導には長けていた。

パクは、10年前の世界バレーボールから、いったい何をイランにもたらしたのだろうか?ハミーディーはこの問いに対し、以下のように答えている。

パクによってイランでは初めて「アナリスト」について真剣に議論されるようになった。

こうしてパクの提案により、イタリア人のパウロが、イラン代表チームに雇われた。また、この韓国人コーチは、バレーボールのボディトレーニングの新しい方法をイランにもたらした。これはイタリア人の敏腕トレーナー、カルロによって行われたのである。

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( 翻訳者:8400001 )
( 記事ID:31822 )