「アメリカに死を」はお上の命令で止めることのできるようなものではない(上)
2013年11月04日付 Jam-e Jam 紙

 人民主権(マルドムサーラーリー)の国では人民、及び人民組織が表に立ち、政府は人民の考えに反した行動を自らの利益に適うものとは見なさない。政府はむしろ公衆の要求を受け入れ、人民の側から表明された意見の枠内で国益を追求することを義務づけられている。

 表面的にのみ民主主義(デモクラシー)の国では、人民の要求は政府の行動を正当化するための口実に過ぎないが、しかし人民主権があらゆる面で受け入れられている体制では、民主主義は公衆の意志に対して「上から目線」で命令したり、人民に対して義務を課したりすることのないよう、政府に求める。

 こうした制度の中では、通常命令によってではなく、自然発生的に人民の心からの要求として示されるスローガンが蔑ろにされたり、排除されたりするようなことは、人民自身がこうしたスローガンの継続を不必要であると結論づけない限り、あり得ないことである。

 イスラーム革命によって人民の意見というものが、その本来の場所に戻ることが可能となった我が国では、この種のスローガンは革命の時代に〔人民の側から〕示された。この時代、いかなる者も人民にスローガンを指定することは不可能だった。特殊なスローガンを示していた〔MKOのような〕矮小なグループも、自らのスローガンを〔人民のスローガンとして〕永続化させることはできなかった。というのも、人民は彼らとともに歩まなかったからだ。〔それとは対照的に〕「シャーに死を」や「独立、自由、イスラーム共和国」などのスローガンは、まさに人民の革命的熱狂から生まれたのであり、それらが実現されるまで、こうしたスローガンは唱えられ続けた。

 イスラーム革命の勝利後、アメリカは逃亡したシャーを保護したことで、イラン人民の革命に対する自らの敵意を露わにした。そしてそれからしばらく後、アメリカ大使館を占拠したことで見つかった資料によって、この国の不正義がより広範囲に広がっていたことが分かった。その後、アメリカは我が国の資産を凍結し、大規模な経済制裁を科し、対イラン侵略でイラク政府を支援し‥‥これらのことが重なって、人民は「アメリカに死を」のスローガンを叫ぶことを決意した。

 イスラーム革命の勝利から30年以上が経ち、その間イラン・米関係は紆余曲折を経験した。しかしイランに対する米政府の敵対的政策に変化はなく、そのために「アメリカに死を」のスローガンも、数百万人もの人々が参加する集会やデモ行進で叫ばれる、定番のスローガンになっていった。

 イラン国民の意志についてほとんど知らないまま、国際問題に対する革命後の人民の対応を目撃した〔欧米の〕人々は、今や〔「アメリカに死を」のごとき〕人民的スローガンが政府のお触れや通達のように、署名と共に発出されては、撤回されるような種類のものではないということを理解するようになった。

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:31975 )