ギュレン師は私塾閉鎖問題について「いやはや、彼らは天国の扉さえも閉ざすことを望むかもしれない・・・肝要なことは、知らぬ間に降りかかった大災難には、歯を食いしばって我慢することだ」と述べた。
ヌルジュ系教団のリーダー、フェトフッラー・ギュレン師は私塾に関する規制について強い反発を示した。教団のインターネットサイト「Herkul.org」でのコメントによると、ギュレン師はザマン紙の「教育に対するクーデター計画」という見出しの記事に非常に悲しんでいると述べた。
ギュレン師の話の要旨は以下の通りだ:
「・・・問題の本質が分からない時には、突然降りかかった大災難には、歯を食いしばって我慢することだ。我慢は非常に重要なことだ・・・ファラオがあなた方と反対の立場にいるなら、あなたがたは正しい道を歩いているということになる。カールーン(訳註:コーランの中で言及されている大金持ち)があなた方と反対の立場にいるなら、あなた方は正しい道を歩いていることになる。サーミリー(訳註:コーランで言及されている人物)がもしもあなた方と反対の立場にいるなら、あなた方は正しい道を歩いているということだ。カールーンもサーミリーもイスラエルの子だった(訳註:古代イスラエルを指す。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が同一の伝統を受け継ぐという立場によっている)。
(あるゲストがこの問題に関して何万通ものメッセージが受け取ったと語り、私塾で働く「ヒズメット(奉仕)運動」の参加者たちが「職場が閉鎖されたら次は何の仕事をしようかという心配はしていない」と言っていることに言及した後、)「つまりわが仲間らは腰を据えているということだ。すなわちヒズメットの気持ちや考えで、彼らは、何をするかを決めているのだ。わが仲間には他の選択肢もある。いやはや、彼らは(訳註:私塾を閉鎖しようとしている者たち)天国の扉さえも閉ざすことを望むかもしれない。これらの者は入らないように、私たちが入ろうとか、少なくとも先に私たちが入ろうとか、これらの者に入る権利はないという者さえ出てくるかもしれない・・・」
■クーデター期への言及
「・・・私たちは1960年のクーデターから今に至るまで、こうしたことを見てきた、平手打ちを受けた。1970年のクーデターも経験し、今度は平手打ちではなく、蹴られた。1980年の9月12日クーデターを経験し、またもや両足でけられた。しかし平手打ちをし、蹴った者たちは今その責任を問われている。私たちはそのようなこと(彼らに責任を問わせること)をしていない。神命が決定を下したのであり、神命によりそこで人形のように操られた人々がそれらの人々をそのようにしたのだ。しかし私が心を動かされた点があった。この白髪まじりの老人たち(責任を問われている者たち=クーデター実行者)が、代償を支払うなら、私の心は痛む。できることなら、私は彼ら全員に対してあなた方は自由ですと言うだろう・・・つまりどういうことか?預言者ムハンマドがカーバを征服した後に『行きなさい、あなた方は皆自由です』と言ったように、だ。実は誰かがこれらを計画し、実行している。そして我々に向かってかかとを揃えて直立した者たちに、我々がこのことを言わせた、と言われている。一方では扉の後ろで言っているが、他方ではまるでそれを、ギュレン派が一部の人たちをつかってやらせているかのように彼らにささやいている。そして一石二鳥をねらう、混乱を引き起こそうとしている」
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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:31993 )