Güneri Cıvaoğluコラム:なぜ「共和国検事」と呼ばれるのか?―収賄捜査にちなみ
2013年12月28日付 Milliyet 紙
なぜ検事にとって「共和国検事」は正式な形容詞なのか?
「共和国首相、共和国大臣、共和国国会議員、共和国法廷弁護士、共和国県知事や郡知事、共和国警察庁長官」とは言わないのに、なぜ検事は「共和国検事」なのか?
この質問に対する答えは、「法治国家の在り方を守る守護者だから」だ。
そのルーツは、アタテュルクの時代における「法律改革」の過程にまで遡る。
つまりこうだ。
法律改革の過程で新しい法律が生み出される中、この取り組みのトップに当時の法務大臣であるマフムト・エサト・ボズクルトがいた。
骨子の中で「検事」に対し「共和国検事」という表現がとられていることに注意が集まった。反発も見られた。
「なぜ大使や法廷弁護士、県知事、警察庁長官、裁判官には『共和国』という形容詞がないにもかかわらず、検事には使われるのか?」
この論争はアタテュルクの面前にまで飛び火する。
アタテュルクはボズクルト法相に「説明」を求めた。
ボズクルト法相はすべての時代に指針となるような説明を行った。
「国家のあらゆる階層に属する人々は、間違いを起こしえます。法律の外にはずれる可能性があります。彼らに国民や国家、そしてその両方を抱える共和国という名のもとに清算を求めるのが検事です。そのため検事のみ『共和国検事』と呼ばれるのです。」
アタテュルクはこの説明に満足した。
賛同の意を3つの単語で表現した。
「そのまま継続するのだ、ボズクルト…」
検事に「共和国検事」という肩書が与えられたことや、この肩書に対しても「権力によって」全面的に肯定されていることはこのようにして始まった。
現在においてこのことを思い出すことには、亡きイスメト・イノニュの言葉によれば、数えきれないほど多くのメリットがある。
一時期、「共和国検事」という表現が要請するだけの責任や配慮に欠ける行為を行った検事がいなかっただろうか?
この問いに、残念だが、安心して「イエス」と答えることはできない。
誰もが知っていることを、私も繰り返すことはできない。
政府の声さえ、誰、そしてどんな組織が「プロットに入っているか」を新たに認めたばかりだ。
しかし…
「悪例は参考にならない」
検事は「共和国検事」の任務を圧倒的な、まさに権力と責任感をもってして行うために道を開かなければならない。
法治国家の守護者とは、こういう存在だ。
「検事や弁護士(防御する権利は神聖なるものだ)、裁判官」は、憲法における「独立した司法」をともに構成するのだ。
周囲が粉塵の煙で包まれているため「具体的な出来事」ではなく、「そうあるべきこと」を書いた。
人物名や関係性、そして支持者らによって印のつけられた道の地図は持ち運びできない。
法律の基本原理が教え導く道が信用されるのだ。
■経済の熱が高い
昨日ドルがトルコリラに対し2.14トルコリラまで反発した。
中央銀行総裁の「年末には1.92トルコリラになる」という発言は、経済が平常値の中でとどまっていれば、平均的な期待値だった。
これほど大きな逸脱は、何ポイントかの予想のズレをはるかに超えている。
政治のマイナスな影響を示している。
1ポイント増加ごとのエネルギーコストを始めとして、経済の勘定は10億単位だ。
この補償は7600万人の国民が支払うことになる。
残念なことにこれは、政治的危機をいい方向へと向けることができなかった。
明確ではっきりとした態度をもっと前にとらなかったために、時とともに傷に感染症がとりついた。
この感染症は「高熱を誘発する」。
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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:32419 )