渦中の、オズ検事とはだれか?
2014年01月08日付 Hurriyet 紙


ウムラニエのゲジェコンドゥで27個の手榴弾が見つかったのを機に、2007年6月12日に始まったエルゲネコン捜査で、ゼケリヤ・オズの名はトルコ中に知れ渡った。

エルゲネコン捜査を開始させ、世論に衝撃を与えた重要な裁判の検事を務めたのがオズ氏である。そのオズ氏に2009年1月、エルドアン首相所有のメルセデス製の防弾装備のついた公用車があてがわれていた。オズ氏はバクルキョイ検察へ異動したが、彼の公用車は何か月も修理に出されたままであり、さらに彼の護衛の車も昨日警察により撤収されたことが分かった。

次々と実施されたエルゲネコン捜査、バルヨズ捜査、司令官暗殺計画、「誓約」捜査のトップにいたのは、ゼケリヤ・オズだった。

2011年3月に、イスタンブル共和国主席副検事に任命される以前から、トルコで話題になった捜査の数々は、彼が指揮してきた。もっとも最近表ざたになった大不正・収賄捜査の背後にいたのも、彼だった。昨晩、裁判官検事高等委員会(HSYK)の第一法廷での突然の決定により、バクルキョイ共和国主席副検事に降格されるまでは・・・。

この任命により、彼が調整検事の仕事を遂行してきた2013年12月17日不正・収賄疑惑に関する捜査と(彼と)の関係は、完全に断たれることになった。

■エルゲネコン裁判の最初の検事だった

ある密告をうけ2007年6月にはじまったエルゲネコン裁判の最初の検事だったオズは、捜査を担当した4年の間、しばしば話題になった。エルゲネコン裁判を担当した4年を通じて、多くの告発と損害賠償裁判をおこされてきたオズは、エルゲネコンに関して作成された16通の訴状のうち、8通に署名をしている。

■12月17日捜査により、再び時の人に

2011に特権をはく奪され、イスタンブル共和国主席副検事に任命されたオズは、密輸・組織犯罪課、文書課、警備課、施設管理課(技術係)、司法登録局を監督する副主席検事の任をつとめた。イスタンブル共和国主席副検事に任命されてからは、メディアへの登場回数の減ったオズだったが、2013年12月17日に行われた不正・収賄疑惑に関する捜査で、再び時の人となった。

■捜査の調整検事役

オズがトップを務める密輸・組織犯罪課の検事のうち、ジェラル・カラは、歌手エブル・ギュンデシュの夫で実業家のルザ・サッラーフ、元内相ムアンメル・ギュレルの息子バルシュ・ギュレル、元経済相ザフェル・チャーラヤンの息子カアン・チャーラヤン、ハルク銀行頭取スレイマン・アスランを含む21人と、ファーティフ区のムスタファ・デミル区長を含む27人に関する、ふたつの異なる捜査の一環としての強制捜査を、2013年12月17日に指示した。カラにより指揮された二つの異なる捜査の調整検事はというと、ゼケリヤ・オズだった。

■捜査の許可をだし、部署を変えた

12月17日の捜査ののち、オズ検事が、不正・収賄疑惑に関する捜査から外されたとの噂に対しては、最終的にHSYKが終止符をうった。アフメト・ハムスィジを議長とするHSYK第3法廷は、イスタンブル共和国主席検事のツラン・チョラックル、ゼケリヤ・オズ検事、ムハッレム・アッカシュとともに捜査に参加した検事とイスタンブル警察のセラーミー・アルトゥンオク署長に対する通報と訴えを、審議した。その法廷での審議の結果、チョラックル、オズ、アッカシュとその他の検事、セラーミー・アルトゥンオク署長について、取り調べを行うことが決定された。

■記者会見をするかと思われたが、配置換えに

2013年10月のドバイ旅行の77000TLの支払いを、実業家アーオールが支払っていたとの疑惑を言いがかりだとするオズ検事は、この問題に関し、記者発表を行うためHSYKから許可を求めていたが、逆に、突然の決定により、HSYK第一法廷により、バクルキョイ共和国主席副検事に任命されていたことが判明した。

ドバイ旅行の経費は自分ではかったというオズは、領収書はHSYKにあり、HSYKが許可したら、領収書も含む文書による発表をすると語った。

■彼が作成した訴状、担当した捜査

ゼケルヤ・オズにより作成された訴状は次の通り。

・第一次エルゲネコン訴状
・第二次エルゲネコン訴状
・第三次エルゲネコン訴状
・「反動との戦い行動計画」訴状
・エルゲネコン裁判の容疑者レヴェント・エルソズ退役准将に対する暗殺訴状
・近代生活支援協会と、近代教育財団幹部に対する訴状

担当した捜査は、

・参謀本部インターネットサイトに反政府的陰謀があったという容疑についての捜査。
・元法相セイフィ・オクタイを介し、9月12日投票の憲法改正に関わる裁判官に影響力を及ぼすよう、CHPの元党首デニズ・バイカルに接触がされたという容疑についての捜査
・軍警察司令本部において、2002~2004の間に「機密費」として支出されてきた経費に関する捜査
・2001年に詐欺容疑で逮捕された際に警察に対し行った証言で、エルゲネコン裁判の重要な鍵となったエルゲネコンの未逮捕の容疑者トゥンジャイ・ギュネイについての捜査
・レジェプ・タイイプ・エルドアンに対する暗殺容疑にかかわり、退役将軍チェヴィキ・ビルと国家諜報機構のヌーリ・ギュンデシュに関する捜査
・ODATVのオーナー、ソナル・ヤルチュンとアフメト・シュク、ネディーム・シェネルを含むメディア関係者に対する捜査
・マラティア・ズィヴレ出版殺人事件についての調査

■トルコで話題の殺人事件を、捜査

オズは、エルゲネコン捜査を開始してから4か月後の2007年10月5日に、イスタンブル警察署に送った文書で、ネジプ・ハブレミトオール、サントーラ修道士、イスマイル・アー(バイラム・ホジャ)殺人事件、行政裁判所襲撃事件、フラント・ディンク殺人事件、マラタィアにおける宣教師殺人事件、宣教裁判として知られる裁判事件、ドイツ財団裁判、イフサン・ギュヴェン殺人に関し容疑者らが様々なインターネットサイトに書いていた文章やコメントの調査を要請した。

ゼケリヤ・オズは、このほか、フラント・ディンクの裁判の最中に、様々な事件の容疑者らが参加したデモや活動、写真、報道、文章の内容などが、それぞれの事件ごとに別々にまとめられ、検察に提出されるようにとの要請した。

イズミルのアルサンジャク・カード遊技場に投げ込まれた爆弾により亡くなったイブラヒム・チフトチが、かつてネジプ・ハブレミトオール殺人で逮捕されていたのかどうかについて、過去に諜報組織への調査を依頼したゼケリヤ・オズは、手に入れた文書を、大至急検察に送致するようにとの要請した。

■首相が専用車を彼に与えた

ゼケリヤ・オズに対し、2009年1月に、エルドアン首相により、メルセデス製の防弾装備の専用車が与えられていた

オズは、現在、HSYKによって調査され、バクルキョイ検事に降格されているが、この車は、何か月も修理中であり、警備がエスコートしていたこの車は、昨日、警察によって取り返された。

■脅迫

ゼケリヤ・オズを殺すと脅したとされるオズカン・クルトは、「テロ組織を代表し、脅迫した」という疑いで逮捕された。クルトについてのこの裁判は、エルゲネコン裁判と一本化された。

■権限の有無をめぐって、緊張

オズが、特別権限検事であった時期には、「インターネット誓約捜査」において、テロ組織メンバー罪でハサン・ウースズを含む19人の事情聴取された件で、当時のアイクト・ジェンギズ・エンギン主席検事と、オズの間に、権限をめぐる緊張がおきた。

捜査では、一部の士官の事情聴取はゼケリヤ・オズによって行われた。しかし、将軍クラスになると、権限をめぐる危機がおきた。イスタンブル主席検事アイクト・ジェンギズ・エンギンは、2010年8月16日付けの文章で、法務省通達に根拠に、現役の将軍、司令官についての調査書類を、一式まとめて、いっさいの措置を取らずに、24時間以内に自分のもとに送致するよう指示した。

この危機は、主席副検事トゥラン・チョラクカドゥが、将軍らの捜査を、ゼケリヤ・オズと一緒に行う方向で収拾された。危機が収拾されたのち、捜査資料は、オズの手元に残された。

■2008年に取り調べ

エルゲネコン捜査の枠組みで逮捕された一部の容疑者や国会議員が、取り調べを実施した共和国検事ゼケリヤ・オズに対して起こした不服申し立てにより始められた調査で、法務省は、当時のエルゲネコン捜査を含む組織犯罪捜査担当のイスタンブル主席副検事トゥルハン・チョラクカドゥからも意見聴取をした。

マル秘扱いとされた2008年7月29日付け30ページの調書で意見を述べた当時のイスタンブル主席副検事トゥルハン・チョラクカドゥは、オズがエルゲネコン捜査を違法な形で行っているという疑惑に関し、そのような問題はないと述べていた。

主席副検事トゥラン・チョラクカドゥは、法務省に提出した調書でエルゲネコン捜査がどのように開始されたかを説明し、行われた捜査を要約し、次のようにのべていた。
「書類を見る限り、共和国検事ゼケリヤ・オズが、要望書や聴取で主張されているような「中立の原則に反し、客観的に行動せず、法に反した措置を行い、捜査を意図的に遅延させた」という方向での情報・証拠は見つからなかった。」

■密告に基づき、八百長捜査を、オズ検事が始めさせた

オルグン・ペケルが組織犯罪組織をつくり、サッカーの試合のスコアに圧力や脅迫により影響を及ぼしたという密告をうけ、その時期「特別権限共和国検事」であったゼケリヤ・オズによって、2010年12月に八百長捜査がはじめられた。捜査がはじまって間もなく、オズ検事とフェネルバフチェ・クラブのアズィズ・ユルドゥルム会長が、ある開会式で同席しているのが目撃されていた。オズ検事が、イスタンブル主席副検事に任命されたのち、八百長捜査には、特別権限共和国検事メフメト・ベルクが任命された。

■「3ケ月間の盗聴申請」

裁判の結果、組織をつくり4試合で八百長、3試合で誘導という罪により6年3か月の禁固刑に処されたフェネルバフチェ・クラブのアズィズ・ユルドゥルム会長は、その調書のなかで、ナズミ・アルドゥチ組織犯罪捜査支局長が、オルグン・ペケルを盗聴するため、ベシクタシュ裁判所に申し出をし、「ガラタサライ会議メンバーであるゼケリヤ・オズは、私を3か月間、盗聴する申請をした。翌日、裁判官は、強い疑念をもち、どういうわけか、盗聴を許可した。この状況は、自分がこの捜査に巻き込まれていたことを示している。トルコスポーツ界を手中に収めたいと思っているグループが、この操作を操っているのだ。我々と接触するのが罪で組織犯罪だというのなら、共和国主席副検事のフィクレト・セチェン、ゼケリヤ・オズ、メフメト・ベルク、ナズミ・アルドチとも同じ組織メンバーであることになる。この連中と、試合をしたり、食事もした。しかし、我々を深く傷つけるものは、我々と仲良くやっていたときにも、我々を盗聴していたということだ。」

■ゼケリヤ・オズは、どういう人物か?

ゼケリヤ・オズは、ブルガリアからの移民一家の子として生まれた。小学校、中学校、高校はブルサで学んだ。父親はブルサで商売をしており、彼は1986年にイスタンブル大学法学部に入り、1991年に卒業した。

ゼケリヤ・オズは、1997年までブルサ弁護士会に所属し、弁護士業をしていた。1997年に裁判官・検事試験に受かり、その後、ブルサ弁護士会の登録を抹消して、検事となった。

ゼキリヤ・オズは1991年8月に短期兵役をはじめた。兵役を始めた時114・5キロの体重があったオズは、12日目に様々な健康上の理由をあげ、保健部に出頭した。彼には、3か月の転地療養が認められたが、その期間中に求められていた減量をできなかった。これをうけ2回にわたり、さらに3か月づつの転地療養が認められた。しかし、事態は改善しないとし、2000年5月に外因性肥満診断をうけ兵役不適格とされた。

1995年9月26日に、最初の任地であるチネに任命されたゼケリヤ・オズは、チネののち、1998年7月2日にムトゥキへで任命された。ゼケリヤ・オズは、ムトゥキで2年間務めたのち、バルケスィル、ビガディチに任命された。
2004年にイスタンブルに任命され、イスタンブル共和国検事となった。アルカイダメンバーだったアル=サッカに終身刑を求刑した。これは、彼が、イスタンブルでのイギリス総領事館、シナゴーグ、およびHSBC銀行への爆弾テロを行ったアルカイダのテロリスト、アザド・エキンジとアブデュルカーディル・カラクシュが、シリアで(訓練を受けるに際し)アル=サッカのもとにいっていたと確認したためである。

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( 翻訳者:小野里ゆみ )
( 記事ID:32519 )