ホセイニヤーン議員:「ストロー元英外相の来訪は《イギリスに死を!》のスローガンで迎える
2014年01月08日付 Jam-e Jam 紙
【ジャーメジャム・オンライン】テヘラン選出の国会議員である
ホッジャトルエスラーム・ルーホッラー・ホセイニヤーンは、「我々はイギリス人に対して好感をもってはいないし、ストローに対してようこそイランへと歓迎もしない」と述べ、以下のように発言した。
もしジャック・ストロー[※1]が国会を訪れるようなことがあれば私は絶対に「イギリスに死を」スローガンで彼を迎える。
※訳注1:イギリス下院(庶民院)の労働党議員。元外相で閣僚を歴任しており、2001年にはイラン革命後はじめて英外相としてイランを訪問。イギリス・イラン友好議員連盟のメンバーで、1月7日に英国会代表団を率いてイランを訪れた。
ホセイニヤーン議員は、ジャック・ストロウのテヘラン来訪に対し次のように述べた。
私はそもそもイギリス人と真摯にな関係性を築こうとすることには反対である。なぜなら、イギリス人は一度としてもイランに対し良好な関係を築こうという態度を示したことはなかったし、常にイランに対して裏切りを重ねてきたからである。
同議員は加えて以下のように述べた。
我々がナーセロッディンシャー[治世1848-96年]の時代にヘラート[現アフガニスタン西部]を失ったとしたら、それはイギリス人らの裏切りによるものだった。第一次世界大戦の下でイランが占領され一千万人近くの罪なき人々が空腹で死んだとしたら、それはイギリス人たちの裏切りによるものだったのだ。さらに近いところでは、石油国有化運動の流れにおいて、イギリスがイランに対し、いかなる裏切りの数々を行ってきたことか。
憲法第90条委員会のメンバーでもあるホセイニヤーン議員は、以下のように指摘した。
モルダード月28日(1953年8月19日)のクーデター[※上記の石油国有化運動の挫折の原因となった軍事クーデターを指す]にもイギリス人は直接加わり、イギリスのスパイらはアメリカとともに、イランの内政に干渉しイスラム革命の勝利に際しては可能な限りシャー(王)をイランにとどまらせようと支援をした。当時の英外相はエマーム[故ホメイニー]に対峙し、何が何でもシャーを奉じ擁護しなければならないと述べたのである。
同議員は、さらに以下のように述べる。
イスラム革命の達成の後も、イギリス人による裏切りは少なくなかった。例えば、イランの[ウラン]濃縮活動の停止もそのひとつである。これはジャック・ストローその人によってイランに強要されたものであり[※2]、またこの侮辱を彼らはイラン国民に押し付けたのだ。
※訳注2:イランが2003年にウラン濃縮などの一時停止に合意した際、当時外相だったジャック・ストローがEU3ヶ国を代表して交渉にあたっていたことを指す。なお、当時のイラン側の核交渉責任者はロウハーニー。
[中略]
同議員はさらに以下をつけ加えた。
ジャック・ストローは「ジャックは目下イギリス現政権に反対の立場でイランを支持している」と英外務省関係者らがさかんに述べている人物である。
私はいったい彼のどこにイランを支持するような力があったのか、また、今彼を我々がもてなし彼の来訪を喜ばねばならぬような、いかなる栄誉をイランにもたらしてくれたのか、いかなる好意をイランの人々のために示してくれたのか、さっぱり分からない。
国会の第90条委員会のメンバー、ホセイニヤーン師はヨーロッパ外交団訪問において生じた数々の問題に触れ、以下のように宣言した。
善良であった彼らが、イランを訪れた途端、我々ひとりひとりに対し、無礼をはたらいたのだ。私はある人物を批判するが、彼は私にこう接する。ひとりのヨーロッパ人が[我々を]侮辱の言葉を投げかけるとき、イラン人の前で正面きってそれを行うのではなく、わざわざ我々の国にやってきて我らを蔑むのだ。
同国会議員はこう続けた。
私はこの来訪の中にどんな望みもプラスの影響も見出せない。この親交と来訪を受けて少しずつ、ヨーロッパの国々を恐れ、また、魅せられていくようになるのではないかと懸念している。
ホセイニヤーンはジャック・ストローがイラン国会の公開会議に同席する可能性についての質問に答えて、こう述べた。
もしジャック・ストローが国会を訪れるならば、私は必ずや「イギリスに死を」のスローガンで彼を迎えるつもりだ。
(ファールス通信)
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( 翻訳者:8410157 )
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