Cengiz Candar コラム:終焉
2014年02月27日付 Radikal 紙

エルドアン首相が、立場に執着するにつれに、新たなスキャンダルの発覚が問題となり、その地位が揺らごうとしている。

我々が本当に民主主義国家で暮らしていたならば、タイイプ・エルドアン首相が2月24日の晩に息子ビラル氏との間で行った2013年12月17日と18日の電話の録音テープが表に出た後、昨日の時点で辞職する必要があった。

そうならなかったこそ、エルドアン首相は与党にしがみついており、今後さらに強く執着することになるように窺える。2月24日の晩の後は全力でしがみつかなければならなくなった。というのも今後、政権にしがみつく指の力を緩めた瞬間から、本当に「最高弾劾法廷」行きの可能性がみえてくるということが明らかになったからだ。

我が国がまるでバース党の支配しているイラクやシリアのように―タイイプ・エルドアン首相が[そう]変えさせようと励んでいることだが―なったなら、このような討論は生まれなかっただろう。与党と与党の主がすべての自己貯蓄の蓋を覆い、そしてその覆いを開けたいと望んでいる者は無慈悲かつ情け容赦なく―タイイプ・ エルドアン首相の望む形でもって―鎮圧されることになったであろう。

トルコはまったくこうではない。まさに「民主主義国家、開かれた社会」とはまったく折り合わない新しいインターネットの法律が誕生したにもかかわらず、ソーシャルメディアは勢いよくその法律を現在「効力のない法」の方へと持って行ったのである。

エルドアン首相と(息子の)ビラル氏の間の12月17日・18日付の電話での会話をYou Tubeで聞いた人の数は、録音テープがばらまかれてから24時間もたたないうちに200万人に達した。

エルドアン首相は、自身のメディアをつくりあげ、残りの重要なメディアを脅かし制圧して以降、トルコで民主主義国家として不可欠な「自由なメディア」について発言することは不可能になった。与党側のメディアと中心的メディアは昨日連携体制で「エルドアン首相とビラル氏の間の録音テープ」への検閲を実施した。第一野党党首のトルコ国民議会での演説へさえもこの検閲を敷いたが、当のテープが全世界のメディアで取り上げられると、まさにトルコでも最低200万人が「You Tubeトルコ記録」を破り、短時間でこれを視聴した。

汚職が知られることを食い止めることはできない。筆者はフィナンシャル・タイムズに向けて昨日話した。40-50年前にワルシャワ条約機構に調印していた国のスターリン体制は、(読者から読者へ)配布されていた一ページの「サミズダート(地下出版)」を阻止できなかった。そうした中、このインターネット時代にあるトルコで、エルドアン首相とその支持者らは「ソーシャルメディア」に打ち勝つことができるのだろうか。

三週間前、このコラムで「汚職と政治上のつけ」という見出しで書いた記事を次のように締めくくった。「インターネット時代、グローバル時代において、西側の機関に属しているトルコでは汚職を隠ぺいできない。為政者側が大きな汚職という傷を抱え、これを押さえ込むためにあらゆる反民主主義手法に訴えかけようとする国は、経済危機を解決することはできない。それどころか必ずや政治上のつけを払うことになる。トルコで起こりうることはこれなのだ。起こっていることはこれなのである。これから逃れることはできないのだ。」

そのようにならなかったか?三週間のうちに、インターネット法、裁判官・検察官高等委員会法、そして国家諜報機構法のような、トルコを「西側のシステム」、「民主主義国家」から切り離そうとする法律が出され、もしくはトルコ大国民議会を通過する可能性のある状態になったとしても、 「汚職」は隠ぺいされないと同時に、ことは一層「品位を落とした」格好で世論の目の前に陳列されている。

12月17日の48時間前に「汚職が露見したとしたら」という見出しのもとこのコラムで発表した記事では、「汚職」隠蔽につとめた場合―その際エルドアン首相が行おうとしていたのはまさにこれであり、ビラル氏との通話もこれを証明するものとなった―、[起こりうる]次の件に書きこんでいた。

「…『道徳』を謳った演説や『孤児の権利』の件で強調したことにもはや誰も耳を傾けない。首相のムスリムとしての考えやイメージさえも、危険にさらされる。というのも、汚職というものは民衆がもっとも敏感になりいっぱい食わされないように注意していて、世界中どこでも与党をだめにする最大のウイルスであるからだ。」

特に2月24日の晩から我々はこの地点に達しなかったか?このテープが公の目に晒された後は、この与党のトップが満場一致で「道徳的である」と考える「良心的」または「敬虔」な心の持ち主がいるだろうか?

さて、当該テープがエルドアン首相が言っているように「吹き替え」や「編集」だということはありえないのだろうか?

平和民主党(BDP)のセラハッティン・デミルタシュ党首は首相に「そうならトルコ科学技術研究機構に行って録音のコピーを渡しなさい、そうすれば20分以内に結果を受け取れますよ」と伝えた。第一野党のケマル・クルチダルオール党首は昨日の重要な演説において、以下のようなコメントをさらに付け加えた。

「音声技術者に質問した。『すべて本物である』と彼らは答えた。エルドアン首相に呼びかける。テレコミュニケーション通信庁(TİB)の記録で何時、誰が誰と話していたのか公表しなさい。国の記録も同様だ。隠されているものに関するすべての情報はTIBにある。それらを発表できるのだろうか?できやしない。盗みを働いて首相になれやしないからだ。」

単純な確認。もし当の録音テープが「編集」や「吹き替え」だったなら、2月24日の夜21時に国家諜報機構の長官と内務大臣と緊急に集ったエルドアン首相は、自身の証拠を、昨日のAKPの党会議で行った演説に間に合わせることができたろうに。

このようなひどい告発のあとでエルドアン首相の昨日の演説を聞いた者は、彼の演説を弱々しいとみた。演説はとても弱々しかったのだ。あの声を張り上げ、怒り、がなりあげるといった我々が慣れ親しんでいるエルドアン首相とは異なっていたのである。いつものようにしようと励んでいたが、テープと全く同じように、普段の自身のものと比べか弱い声を出していた。

実際、意識的に言ったのかそれとも言い誤ったのか、興味深い「告白」をおこなった。「国の機密の電話でさえ彼らは聞いたようだ」と述べたのだ。この台詞は、息子ビラル氏との会話が「事実であるとの告白」として認識された。

さらに重要なことは以下の通りだ。クルチオール共和人民党(CHP)党首も昨日の演説でほのめかした。さらに「新たな録音テープ」がある。これは何を意味しているのか?エルドアン首相が与党の座に執着するにつれ、新たなスキャンダルの発覚が問題となり、その地位が揺らごうとしている。トルコの破綻しやすい経済および国家が、内部がスカスカで、下部もかなり削られた諸機関が、この展開にもちこたえるのは、非常に難しくなるだろう。

一国の首相がCHP党首の次の言葉に受けた後、この国の近い将来を想像できるだろうか。
「もはや彼のことを首相とは呼べない。この政府の正当性は尽きてしまったのである。嘘や盗みを働いて首相になれない。ハリウッドの映画監督でさえ思い浮かばなかったにちがいない。でもこれは映画になるのだ。このような盗みは誰も思いつかないからだ。いまも極秘の電話を盗聴していたと言っているのだ。ヘリコプターを買って国外へ逃走するか、首相という立場から辞職したまえ。国に盗みを働く者は国の指導者にはふさわしくない。」

エルドアン首相がこのいずれもやらないということはわかっている。しかしこのような事態に陥った首相というのは、いかなる民主主義国家であろうとも、とうに辞職している。

トルコは強い民主主義国でもなければ、まったくの反民主主義国でもない「独特な」状況下にあるため、近い将来でさえ想像するのは難しいのだ。

それでは中期、長期的にはどうなのか?
はるかゲズィ公園の頃に、「歴史的」にも「政治的」な意味でもエルドアン首相が「賞味期限を満たした」ということはすでに書いた。彼はもはや「新たな」ことを始めることはできない。そのような「力」はないのだ。エルドアン首相の時代は終わりを告げたが、彼との別れが一体いつになるのか、どのような形になるのか、まだ知ることができないのである。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:足利阿紀 )
( 記事ID:33088 )