サウジアラビア:マハ・ムニーフ氏「危機に立ち向かうことを学んだ」
2014年04月17日付 al-Hayat 紙


■マハ・ムニーフ氏は本紙に対して:保健分野での対応を通じて危機に立ち向かうことを学んだ

【リヤード:アブドゥッラー・シャフリー】

サウジ人女医のマハ・ムニーフ氏は、最近のバラク・オバマ米大統領のリヤード訪問中に「最も勇敢な女性」賞を受けたことにより、世界に知られるようになった。この受賞は家庭内暴力との戦いに関する彼女の努力を評価してのことである。

過去10年間にわたりサウジアラビアの家庭内の平和安全に関して不安を抱いてきた彼女は、1960年に生まれた。この年は、サウジ女性史の中にこれからも残り続けるだろう。というのも、同年に同国の女子に対する正規教育の門を開く国王命令が発せられたからだ。

この対談の中で、この活動的な女医マハ・ムニーフ氏は、国内の女性と子どもに関する多くの問題について自身の考えを表明した。この点で、彼女は「サウジ特有の立ち振る舞い方」を否定している。そして、その立ち振る舞い方は女性の動きや地位の向上を抑制するために利用されてきたものだと述べた。彼女は、女性の自動車運転問題が強調されることを不自然に感じており、より重要な問題がこのために等閑視されて来たと述べた。

本紙はムニーフ氏とともに、教育、奨学金、仕事、女性の権利、サウジアラビアの新世代の女子たちに関する彼女の意見などを巡って対談を行なった。

>おそらくこの数日間で一番された質問でしょうが、マハ・ムニーフとはどんな人物でしょうか。
「私はこの清廉な国に生まれた女子で、カスィーム州のとある家族の出身です。小・中・高校と大学の教育をサウジ国内で修了しました。」

>あなたはサウジアラビアで女性教育を巡る論争があった時代に生まれたのですよね。あなたが学校に入学するのは簡単でしたか。
「私は教養があり、学問好きな家庭に生まれ育ちました。私の家族は、私が学校に入ることを躊躇せず応援してくれました。また私の入学に関する話はちょっと他とは違っています。5歳のとき、母方の叔母が私を学校へ連れて行き、就学年齢になるまでは聴講だけのために私が教室にいる許可を校長先生に要求したのです。しかし、2ヵ月も経たないうちに、当時の幼さにもかかわらず私の優秀さを認め、校長は私を正式に登録するように求めました。」

>女性教育を巡る論争から50年が経ち、あの世代の女子学生は上級的位置を占めるようになり、世界的な賞を獲得しています。この間に何が起きたのでしょうか。
「時代は進みました。50年は長く、変化には十分な期間だと私は思います。私たちは教育の原則だけを要求していました。以前は読み書きのできる女性になることを望んでいた。今日、課題、必要性、機会は異なってきており、要求のレベルも上がってきています。そして、サウジ人女性の実績への期待レベルも上がり、より多くが求められるようになりました。生命の法則とは継続した変化であり動きなのです。」

(後略)



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:田村颯 )
( 記事ID:33532 )