(技術的理由により非公開)コラム:中国、アフリカ大陸をめぐる覇権戦争を宣言
2014年05月03日付 al-Hayat 紙

■中国、アフリカ大陸をめぐる覇権戦争を宣言

【サリーム・ナッサール】

米国のオバマ大統領は先週、日本、韓国、マレーシア、フィリピンなどのアジア外遊を終えた。その訪問は、米国が味方に立つという意志を見せることでそれらの国の不安を払拭(ふっしょく)することを目的としていた。

オバマ大統領は東京で、尖閣諸島をめぐる中国との対立に関して、日本へ確固とした支援を行うことを表明した。日本が2012年9月に軍事戦略上重要な尖閣諸島を国有化して以来、中国は同諸島の周辺へ定期的に軍艦を派遣している。

専門家らは、中国が日本に対しこうした挑発的な嫌がらせを続けた場合、武力紛争が勃発するのではないかと懸念している。オバマ大統領が米海軍とのしっかりとした協力のもとで日本軍(原文ママ)が自身の枷(かせ)を外すことを歓迎していることもあり、日本は中国との武力紛争に巻き込まれるかもしれない。

この文脈で、日本の防衛相は中国との係争中の尖閣諸島から150km離れた島に監視基地を設置することを決定した。一方で国連は、歴史的宿敵に近い島にレーダー基地を設置することで、現在容認されている以上に中国の活動を活発化させてしまうのではないかとの見方を示している。

この動きに関し中国指導部は、太平洋の東オセアニアに対する覇権を米国艦隊に掌握され続けることを防ごうと、中国海軍の艦隊派遣を宣言した。中国は、この軍事計画で米国・アジア諸国の同盟からなる包囲網を弱め、日本、韓国、フィリピンを中立化できるのはないかと考えている。そしてこれは、複雑なアジア各地における米国の掌握度合いを低め、安全保障面で空いた穴をあわよくば中国が埋めることを目的としている。

こうした変化の影響で、日本は中国が挑発行動を倍増させるという怪しい動きを察知し、「国家安全保障会議」を設置した。そうした変化は中国メディアのスタイルにも影響を与えており、以前は隣国との語らいを基調していたが、今は自賛、誇張、気の遠くなるような過去、つまり5,000年前にさかのぼる過去の業績アピール、といったスタイルに取って変わられてしまった。加えて、チベットの占領、新疆ウイグル自治区の支配などを正当化している。

専門家や経済評論家らは口をそろえて、中国の石油や石油製品に対する需要が同国をサウジアラビアやイランとの協調へ向かわせていると言う。必要性から中国は自国製品の市場開拓に向かった。そしてアフリカの密林への侵攻、アフリカ大陸との経済関係強化に向かった。

こうした理由や他にもさまざまな理由で、中国は農業分野でカメルーン、モザンビーグ、ウガンダ、タンザニア、スーダン、エチオピア、ザンビア、コンゴ共和国の広大な土地に投資をしている。

そして中国指導部は、アフリカには世界の希少金属(レアメタル)埋蔵量の3分の1以上が埋まっていると考えている。例えば、ナイジェリア、ソマリア、ナミビア、中央アフリカ、こうした国々は世界最大のウラン貯蔵量を誇っており、同様にアフリカ大陸には世界埋蔵量の5分の1のダイアモンドと金が眠る。

数年前、中国の外相が長期にわたる外遊を行い、エチオピア、ジブチ、ガーナ、セネガルの四か国を訪問した。その外遊の目的は、アデン湾やバブ・エル・マンデブ海峡で船乗りたちが被っていた海賊被害からの中国船舶の保護であった。同相は、東アフリカの海門としてのジブチ訪問から外遊を開始すると発表していた。

フランスや米国がジブチに軍事基地を持っているにもかかわらず、中国は諸国の間で起きている競争において代役になることを名乗り出たのである。こうしてジブチが中国船舶の燃料補給のための乗継地になったのがおわかりいただけるだろう。

スーダンの港町ポートスーダンは(中国の投資に関し)恒常的なゆすり行為を行っていたため、中国はスーダンの南のケニアに、ポートスーダンに代わる南スーダンの石油を輸出するための港湾を新たに建設した。

エチオピアの厳しい経済状況を見て、中国は170億ドルの借款を提供するという救いの手を差し伸べた。その内の半額はエチオピアの各空港の拡張に使われた。

ガーナに関して言えば、産油国であるだけでなく、南アフリカに次いで世界第二位の金産出国として重要である。ゆえに中国は早速この将来の約束された国に投資を行った。中国の対ガーナ輸出は50億ドル以上に上る。

セネガルはフランス語圏(フランクフォニー加盟国)であるにもかかわらず、首都ダカールの空港や小児病院の建設、スポーツ施設の建設計画などといった事業を通じて、中国は一番のビジネス・パートナーとなることに成功した。

国連の研究は中国のアフリカに対する関心について、次のような政治的・経済的要素が背景にあるとする。

(1)1955年のバンドン会議以来、中国は台湾政府に対抗するためアフリカ諸国の支持を得ようとしてきた。こうして中国は中華民族の唯一の正当な代表者の座に就こうとした。

(2)中国は自身を、大陸を蹂躙(じゅうりん)した帝国主義に抗する存在だとみなし、西洋諸国のくびきから逃れた国として政策を展開している。例えば、ジブチはフランスの影響下にあったし、ガーナもイギリス連邦に従っていたが、中国はそうした方法で、アフリカに商業面から食い込み、アフリカ諸国の支持を得ることに成功した。

(3)中国は2012年末、アフリカの32カ国と通商・経済・産業協定を結んだ。その後アフリカの45カ国との間で共同経済委員会を立ち上げた。さらに、2013年の通商規模は20億ドルに到達した。

(4)この問題で注目すべきは、中国企業が為政者と政治的事項に関わるのを避けたことである。そしてインフラや保健衛生、奨学金、その他市民の関心事項に関わる各計画を通じて、市民へサービスを提供した。こうして中国は人々の間で好感度を上げた。

国連が最近行った研究によれば、アフリカの人口は10億人を超え、中間層は現在3億人以上だという。また、同研究が指摘するところでは、ナイジェリアがアフリカ最大の人口(1億7,000万人)を誇る国になったという。同国はアフリカ最大の産油国であり、昨年の国内総生産(GDP)は5100億ドルに上った。

一方で専門家らは、これらの数字はアフリカの成長を示すものではないと見ている。例えば南アフリカは一人当たりGDPやインフラ、行政の質の点でナイジェリアを大きく上回っている。またナイジェリアでは、ほんの一握りの人のみが富を有していて、圧倒的多数の国民は一日2ドル以下で生活している。そこへ飲料水不足、断続的停電、生活のあらゆる面での腐敗などが追い打ちをかける。

「アラブの春」について中国は、非中立的な立場を取り、国連安保理ではロシアに加勢した。つまり、反政府派ではなくシリア政権の側に立ったのだ。中東危機に際し中国は、毛沢東が約40年にわたり取ってきた立場を離れた。昨年末、中国の外相がイスラエルを訪問し、アラブ諸国から激しい批判を招いた。

同外相はテルアビブでの高官ら会談に際し、両国間の戦略的関係の重要性を強調し、アジアと欧州をつなぐ鉄道計画を提案した。また、紅海のエイラート港と地中海のアシュドッド港をつなぐ計画についても協議した。

歴史家らは、イスラエル指導部がパレスチナ分割案のすぐあと英国との関係を弱めたと述べる。ベングリオンはその取組を、イスラエルは常にそのとき世界最強の国との接近に基づいて外交を展開すると言って正当化した。

この言葉によってベングリオンは、バルフォア宣言の活用、移民の輸送などの面で助けてくれたイギリスの傘下からイスラエルが抜けるということを暗に示した。この分野においてベングリオンは、「イスラエルは世界最強の国へ常に依存する」という政治原則を定着させた。これで英国の傘下からの脱退が説明できる。そして、米国との同盟へ向かったそのわけも説明できる。

イスラエルは今日、反米国としてアジア最強の国家・中国が台頭すると、同国と協力するようになった。そしてこのイスラエル・中国関係の結果、米国防省が握っていた高度技術の極秘部分が、中国に渡ってしまった。(アメリカ国内で活動していたイスラエルの)スパイであるジョナサン・ポラードこそが上記の任務を果たした人物だった。

中国の外相は、イスラエル・メディアへの発言の中で、中国が三大海で覇権を握るという野望をちらつかせた。またこの文脈で同相は、中国が(イエメンの)アデン港の開発に着手したと述べた。これは、中国の海から、アフリカ・スーダンの海岸まで伸びる港湾秩序計画の一部だという。

専門家らは、この米国と中国の静かな戦争は、第二次世界大戦の前まで大英帝国が抑えていたシーレーンをめぐる、目に見える形での紛争に発展するだろうと予想している。大英帝国崩壊後、各国はその戦略拠点を継承しようと闘いを繰り広げた。

そして今日、21世紀の世界規模での争いとして、米中紛争が浮上したのである。

(レバノン人作家・ジャーナリスト)



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:アラビア語新聞翻訳班 )
( 記事ID:33754 )