高速鉄道計画で心配される歴史的な駅舎の行方
2014年05月03日付 Zaman 紙


高速鉄道計画において、ハイダルパシャ駅を待ち受ける運命が明らかになり始めた。メフメト・シムシェキ財務大臣は、駅が民営化の対象になると示唆した。ゲブゼ駅~ソウトルチェシュメ駅間とスィルケジ駅~ハルカル駅間にある歴史的なそれぞれの駅はどうなるのだろうか?

高速鉄道とマルマライ計画の一環として行われる鉄道改革の動きは、イスタンブルの人々に昨今不満のヤジを忘れさせている。「ハイダルパシャ駅」の今後は、このプロセスの中で最も心配され、討論される問題の1つだ。イスタンブルの象徴的な建物の1つであるため、ハイダルパシャ駅が関心の的となるのは至極当然だ。しかしゲブゼ駅とソウトルチェシュメ駅またスィルケジ駅とハルカル駅を結ぶ路線上にある、大小さまざまな鉄道駅が今後どうなるかも少なくともハイダルパシャ駅と同じように重要となる。特に、数を減らすべきまたは廃止すべきという意見があるが、これらの駅の「記憶」は尊重されるものである。我々はカーディル・ハス大学の建築学部教員で教授のヨンジャ・エルカン・キョセバイ博士とハイダルパシャ連帯のトゥガイ・カルタル氏に、ゲブゼ駅~ハイダルパシャ駅間にある歴史的鉄道駅が今後どうなるのか聞いた。鉄道をテーマに博士論文を書いたエルカン教授は、マルマライ計画が3路線からなる鉄道として計画されていることから、今ある歴史的な駅をそのままの形で利用することは不可能であると話す。このため歴史的な駅の一部は壊され、別の駅も駅舎の前のホームが壊されるため、廃止されルことになると考えている。
トゥガイ・カルタル氏にこの問題を少し詳しく説明してもらいたいと思っている。すると彼は以下のように説明してくれている。「今ある鉄道路線ではホームは端にあり、路線は真ん中にある。マルマライ計画においては、ホームは中央にあって上り線下り線はホームの両サイドに位置し、このため現在の駅舎は使用されない予定である。『では他の用途として使う方法はないのか?』と問うと、トゥガル・カルタル氏は「駅への入り口が、歴史的建造物の中を通るように計画されたのであれば、今ある歴史的建造物を使うことが出来たのだが」と答える。エルカン教授によると同じプロセスで建設されるカルタル・カドゥキョイ地下鉄は、マルマライの海底トンネルを通す工事と共に取りかかることが可能で、歴史的な鉄道路線が一新され、歴史的な風情を未来へ伝えることが可能であった。
カルタル氏は、このことについてヨンジャ・エルカン教授と同じ見方だ。ハイダルパシャ連帯としてこのプロジェクトの最初に、コミューターレール(通勤電車)の路線が三路線にならないよう、またボスポラス海峡を通過する路線がカドゥキョイ・カルタルメトロに接続時、国内・国際都市間の鉄道交通が、厄介なことにならないよう提案したという。しかし彼らの警告と提案は無視されたという。駅の取り壊しもしくは廃止についての情報はどのように得られるのかというと…イスタンブルの鉄道遺産と宣言されるため、2007年8月1日に国際記念物遺跡会議(ICOMOS)や複合輸送業者組合(BTS)、建築家協会によりイスタンブル自然・文化遺産保存委員会に申請された。委員会は申請をきちんと調査するため担当者を路線調査に向かわせることを、トルコ国鉄(TCDD)に文書で知らせた。この調査ではまずマルマライCR1建設の枠組みで、ハルカル駅・ゲブゼ駅間のどの駅もしくは駅舎や施設が影響をうけるのかを、2008年6月25日付け第711号文書で、鉄道港航空中央建築総局(DLH)に尋ねたという。DLH側は、その質問に答えずに、建設を担当する建築会社アウラシア共同事業体(合弁企業)に委託した。アウラシア共同事業体は2008年8月22日付け第12555号文書で、ハイダルパシャ・ゲブゼとハルカルの間にある29の駅舎の解体と6つの駅舎の廃止をDLHとTCDDに通知したという。
「遺跡委員会は介入しないのか、歴史的建築物の解体を阻止するような活動はなされないのだろうか?」という問いの答えをもトゥガイ・カルタル氏はこう答えた。「ハイダルパシャ~ゲブゼ間はアナトリア・バグダッド鉄道の一部であり、スィルケジ~ハルカル間の路線はルメリ鉄道の一部だ。これらの路線は100年を越える歴史と産業的価値と共に守られるために、BTS、建築家協会やICOMOSは、2007年イスタンブール・イズミット自然遺産保護協会に申し立てをした。申し立ては精査された後、「保護法」には鉄道路線が、歴史的産業鉄道として保護されるための条項がないとして却下された」。
エルカン氏は、ハイダルパシャ~ゲブゼ間路線の使用開始は1871年までさかのぼると話す。「学術的にはトルコの鉄道の歴史において、同時に社会的記憶における重要な場所であるハイダルパシャ路線が保護されながら一新されるのを期待する一方で、この場所のキャパシティーを考えた際に負担となり、それゆえ歴史的特性が守られ未来に伝えるのを難しくするこのプロジェクトが実行された。マルマライ計画は、こうしてハイダルパシャ駅やスィルケジ駅区域の利用と言った観点でも決定的な役割を演じ、150年近くにわたって続く鉄道と海(海上交通)との関係をダメにし、この場所から鉄道が消える原因となった」
マルマライ計画は社会にただ、「鉄道網でイスタンブル海峡を越える」計画として示されたものだと話すエルカン氏は、「コミューターレール(通勤電車)で起きた変化と人々の利用傾向において明るみに出てくる変化は、建設工事が終わったところで気づかれるはずだ」と話した。

■「博物館を作ろう」という提案にも疑問視

エルカン氏曰く、鉄道は一路線すべてが保護のもとに置かれる必要があるという。駅舎や宿舎や貯水池のような特別な建造物のみが登録されうると強調するエルカン氏は、「これにも関わらず登録決定されても、本来の意味で、これらの建物は、それが有する価値とともに未来へ伝えられることができないでいる。ここで決定を下す者たちが社会的利益で、歴史的視点を有しながら、法がもたらす制限に解釈を加えてくれることを期待する」と話した。
歴史的駅が廃止された場合、どうなるのかというのはわからない。駅舎のうちいくつかのために、カドゥキョイ区文化センターはトルコ国鉄に申し出たが、否定的な答えを得たという。ザマン紙がトルコ国鉄へ「歴史的鉄道駅はどうなるのか」ということに関して文書で申し入れをしたが、返答はなかった。

■歴史的駅舎は壊されないが、利用されなくなる

アジア側のアナトリア・バグダッド鉄道の一部としてハイダルパシャ~ゲブゼ間には27駅の駅舎と車庫施設が現存する。すなわち、ハイダルパシャ、ソウトルチェシュメ、クズルトプラク、フェネルヨル、ギョズテペ、エレンキョイ、スアディイェ、ボスタンジュ、キュチュクヤル、イデアルテペ、スレイヤプラジュ、マルテペ、ジェヴィズリ、アタラル、カルタル、ユヌス、ペンディキ、カイナルジャ、テルサーネ、ギュゼルヤル、アイドゥンテペ、イチメレル、トゥズラ、チャユロヴァ、ファティーフ、オスマンガズィ、ゲブゼである。これらの駅および駅舎のうち、ハイダルパシャ、クズルトプラク、フェネルヨル、ギョズテペ、エレンキョイ、スアディイェ、ボスタンジュ、マルテペ、カルタル、ユヌス駅の駅舎は歴史的建造物で登録された建物だ。
ルメリ鉄道の一部であるスィルケジ~ハルカル間には18の駅と車庫施設がある。すなわち、スィルケジ、ジャンクルタラン、クムカプ、イェニカプ、コジャムスタファパシャ、イェディクレ、カズルチェシュメ、ゼイティンブルヌ、イェニマハッレ、バクルキョイ、イェシルユルト、イェシルキョイ、フロリャ、メネクシェ、キュチュクチェシュメジェ、ソウクス、カナリャ、ハルカルだ。アウラシア共同事業体(合弁企業)が2008年にDLHに送ったリストには41の駅がどうなるのかが明らかになっている。これによると歴史的建造物であるクズルトプラク、フェネルヨル、ギョズテペ、エレンキョイ、スアディイェ、ボスタンジュ、マルテペ、カルタル、ユヌス駅の駅舎の隣にこのような記述がある。「新たな駅が作られるがしかし現存する駅舎は守られる」。これらの駅の歴史は、オスマン帝国時代までさかのぼる。オスマン政府は、ハイダルパシャをバグダッドまでつなぐことを考えていた。1871年のハイダルパシャ~イズミット間路線の建設が始まって91キロメートルに及ぶ路線が1873年に終了した。

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( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:33757 )