騒乱のオクメイダヌはいつからこうなったのか―アレヴィー系住民に警察の暴力
2014年05月23日付 Radikal 紙


何か月もの間催涙ガスを浴び、若者が拘束されたオクメイダヌ。ジェムエヴィ(アレヴィー礼拝所)にまでおよび、そして一人の若者の命を奪った当局の弾丸で、オクメイダヌは深い傷を負った。

オクメイダヌは、アレヴィー派が住民の多くを占めるイスタンブルの街区だ。ここではゲズィ運動以来「異常な」日々が続いている。合法・非合法の左翼グループが路地を支配し、前面に出てきているというのがその理由だ。家々の壁には聖アリ、路地の壁にはマーヒル・チャヤン、イブラヒム・カイパッカヤの名も。オクメイダヌには政治的な理由で子供が刑務所送りにされたり、政府の暴力の犠牲者になったことのない家などない。

ゲズィ運動の後亡くなった7人の若者はアレヴィー派で、彼らのうち最も若かったのが14歳のベルキン・エルヴァンで、彼はオクメイダヌで警察の放った催涙ガス弾で亡くなった。このようなことから、信仰と政治的アイデンティティのせいで、いつ政治的暴力の犠牲になるかわからないという不安が、街区の住民の間に広がっている。警察のずさんな実力行使により、こうした不安はオクメイダヌからあちこちに飛び火した。

オクメイダヌでは特に、ベルキン・エルヴァンの死の後に皆が喪に服す一方、カスムパシャでは手に棒を持った集団が集まってオクメイダヌに行進したり、非合法左翼集団が撃ったとされる銃弾によりブラク・ジャン・カラマンオールという若者の命が奪われたことなどで、緊張がさらに高まっている。アレヴィー派とスンナ派(区域)を分けるドルトヨルのあたりでは、ほとんど一触即発の事態となった。ドルトヨルの下側には「オクメイダヌは共産主義の墓場となる」、上側には「オクメイダヌはファシズムの墓場となる」というスローガンが壁面に掲げられている。10年もの間なんとか共生する意思を示し続けてきたオクメイダヌは心理的に分断されてしまった。ここ最近は、70年代にあったように、襲撃に対して見張りが立っている。オクメイダヌで昨日ウウル・クルトがジェムエヴィの中庭で撃たれるまでには、このような経緯があったのである。

強調すべきは、オクメイダヌでは何か月もの間催涙ガスがまかれ、若者たちが拘束されており、ジェムエヴィにまでおよび、そしてウウル・クルトの命を奪った当局の弾丸がこの地に深い傷を残したということだ。礼拝所を標的に、無差別に、闇雲に発砲されたということは、昨日まで彼らのアイデンティティに対する否定政策ゆえに不満を抱えていたアレヴィー派の人々が、今日生存権への不安にさいなまれるようになり、さらには存在をかけた闘いに引きずり込まれているということだ。
誰によって実行されたのかはっきりしていないが、クルトが亡くなった後に行われたデモに手製爆弾が投げ込まれ、爆発し、身元の分からない1人が死亡、警察官7人が負傷したが、これこそまさに火の粉が広がっていることを示している。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:今城尚彦 )
( 記事ID:33980 )