コラム:「ダーイシュ」の「隠れた」指導者、アブー・バクル・バグダーディー
2014年06月04日付 al-Hayat 紙
■アブー・バクル・バグダーディー…新たな「アル=カーイダ」の指導者
【クリストフ・イヤード】
ジハード主義者の指導者で、アブー・バクル・バグダーディーのようにこれほど数多くの戦闘員を従え、広大な地域で権力を握り、莫大(ばくだい)な資金源を持った者はかつてない。彼の影響力はジハード主義者のなかでも類を見ないものだ。2001年9月11日の攻撃以前に黄金期にあったウサーマ・ビン・ラーディンでさえ、バグダードの外れからダマスカス郊外まで、また対ヨルダン国境から対トルコ国境にいたるまでの地域に戦闘員を展開させるバグダーディーの影響力には及ばない。
彼はビン・ラーディンやその後継者ザワーヒリーとは対照的に、カメラのレンズや公の説教壇からは遠く離れた「隠れたジハーディスト」である。個人的に彼に会ったなどと言ったり、彼を描写してみせたりすることは誰にもできず、一般的に出回っている写真も古く、ぼやけてしまっている。また名前は出自を示していない。というのも、この名前はコード・ネーム、もしくは借用や合成された通称である。バグダーディーは自らを、初代カリフにして預言者の教友であるアブー・バクル・スィッディークやイラクの首都に関連づけている。
彼が支持者たちに映像メッセージを送ることはなく、彼のものとされるいくつかの短い音声テープがあるが、それらが実際に彼のものであるかは誰にも分からない。沈黙を守り、映像の世界にも現れないために、その存在は霧に包まれ、神話のかさに取り囲まれている。そしてこの神話は、インドネシアからヨーロッパの周辺を通ってモーリタニアに至るジハードの輪の中でこだましている。まるで彼の行動が彼について一番信頼できる情報であり、その容赦ない残忍さは彼の言説や所見を物語っているかのようだ。彼について知られていることは、以下のわずかな情報にとどまっている。現在相次ぐ暗殺や自殺攻撃によって安定を揺るがされ、混乱の渦中にあるイラク東部ディヤーラー県の出身であり、家族はサーマッラーイ族に属する。バグダード・イスラーム大学で勉学を続けたが、2003年に米国がイラク侵攻を行うまで武器をとったことはなかった。
バグダーディーは小規模な戦闘集団に加わった後、ジハーディストの頂点に上り詰め、今や数万名のイラク人戦闘員と、シリアで7,8千名以上の戦闘員を従えている。彼の兵士たちはイラク・アンバール県の軽視できない一画(ファルージャ全市とラーマディーの一部)を支配しており、またバグダードを臨む要地を脅かし、ニーナワー県(モースル)やサラハッディン県(ティクリート、サーマッラ)にも脅威を与えている。シリアでは、デリゾール県やラッカ県を支配下に置き、ハサカ近郊で石油を採掘し、ラタキア、アレッポ、イドリブ、ハマーで活動を行っている。もっとも、ダマスカスには彼らの安全地はない。
(後略)
*訳注:2014年5月30日付『ル・モンド』紙掲載記事の翻訳(マナール・ナハース編訳)
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:前田悠作 )
( 記事ID:34181 )