86名のイラン人、マレーシアで死刑の順番待ち(上)
2014年05月26日付 Mardomsalari 紙
本人によれば、騙された、親切心が仇となったという。仕事や教育のためにマレーシアに行った。すると、クアラルンプール空港で突然、手錠のひんやりとした感覚を手に感じた。警察官たちは目の前に包みを示し、書類の下にサインするよう求めてきた。その後、彼はまっすぐに、刑務所行きとなった。
アミールはこのことについて、次のように言っている。
イマーム・ホメイニー空港で、ある女性が私に話しかけてきました。クアラルンプールにいる息子に包みを届けてほしいというのです。私はこの女性の境遇に同情して、包みをスーツケースに入れました。マレーシアの空港にいる彼女の息子さんが、包みを私から受けとることになっていました。マレーシア警察に逮捕されて、この包みに入っているのが麻薬であったことに、私は初めて気がつきました。どんなに訴えても、私の無実を証明することはできませんでした。
メフル通信の報道によると、彼はマレーシアの刑務所で3年間、それも過酷な状況のもとで過ごしたという。彼はその後、大使館の助けもあって釈放され、イランに帰国することができたのであった。
マレーシアの刑務所でのイラン人の扱いは、決してよいものではありませんでした。死刑を宣告された人たちのほとんどは独房に留置され、常に監視カメラで監視されています。刑務所では、刑務官たちは私たちにまったく敬意を払ってはくれませんでした。抗議する権利は、私たちに与えられてはいませんでした。いつも空腹状態で、一日に与えられる食事はお約束のほんのささいなものにすぎませんでした。
多くのイラン人が独房にいて、死を覚悟しています。毎日、彼らは自分たちに下された死刑判決が執行されるのを待っているのです。彼らの唯一の希望はイランに向けられています。毎朝、彼らは死と生の二つの選択肢とともに、一日を始めているのです。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:34207 )