マルディン広域市のアフメト・チュルク市長は、マルディン城に現存し、1950年代の科学技術であるレーダー基地の移動を問題提起し、軍及び国家諜報機構(MİT)が城塞から立ち退くよう要請した。マルディン広域市が観光都市である事に言及したチュルク市長は、「我々はもはや形骸化し、軍 とMİTに占領されている城塞を観光用にオープンしたい」と述べた。
在アンカラ・ドイツ大使館からの一行を迎え入れた無所属議員であるマルディン広域市のアフメト・チュルク市長は、市庁舎を多大な債務負担と共に引き継ぎ、 固定資産すら見つからないと伝えた。マルディン広域市が観光都市であり、その文化に即した計画で同市をさらなる呼び物にしたいと述べたチュルク市長は、話題を1950年代以来NATOによってレーダー基地として使用されているマルディン城に移した。
■「城塞に公園群を作りたい」
チュルク市長は、マルディン城が50-60年代以来、NATOの軍事基地として使用されたが、50年代の科学技術では中東及びシリアの偵察活動は不可能で あり、以前、城塞を立ち退く決定があったにも関わらず未だ同城塞が立ち退かれていないと伝えた。チュルク市長は、「マルディン城に依然として軍とMİTが居座っており、城塞を利用している。この時代にもはや50年前の科学技術で追跡・偵察は出来ない。彼ら自身もこの事は十分承知している。観光都市たるマルディンにこの光景は相応しくない。我々はマルディン城の立退きと同時に城塞を観光用にオープンし公園群を建設したい」と述べた。
■「トルコがマルディン広域市のようになっていたら…」
チュルク市長は、「クルディスタン」と称される地域はクルド人のみにとどまらず、5000年間シリア教徒、アルメニア人、クルド人が共生した地域である事を明言し、「マルディン広域市の中心地区及び一部の郡ではアラブ人も暮らしている。彼らの権利及び法的権利を否定する事のない行政理念を実現したい。トルコが、マルディン広域市のようになっていたら、この地の住民のように生活していたら、今トルコで如何なる問題も残っていないでしょう」と述べた。
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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:34447 )