新ファーストレディは中絶反対主義の産婦人科医
2014年08月22日付 Radikal 紙


ダヴトオールが首相になった場合、妻のサレ・ダヴトオールがトルコの“新たなファーストレディ”となる。産婦人科医のサレ・ダヴトオールが中絶反対の立場であることが多くの議論を生んだ。

アフメト・ダヴトオール外相が8月27日に行われる公正発展党大会で党首に選出され、首相の地位に就いた場合、妻のサレ・ダヴトオールさんがトルコの新たなファーストレディとなる。

今日まで閣僚の妻としてイスタンブルで人々の目から離れて暮らす産婦人科医のサレ・ダヴトオールの経歴はこうだ。女性の病と出産の専門医であるサレ・ダヴトオールは、夫アフメト・ダヴトオールと30年前に結婚した。

■中絶反対運動

当時、アフメト・ダヴトオールは修士課程に在籍中で、サレ・ダヴトオールは医学部で学んでいた。ダヴトオールにはセフレ、メイムネ、ハジャル・ビケ、メフメトという名の4人の子供がいる。長女のセフレは、ユルドゥズ・ホールディングの創設者サブリ・ウルケルの3番目の孫、アフメト・オゾクルと結婚。また、真ん中の娘メイムネはイスタンブル商工会議所副会長、ドゥルスン・トプチュ氏の息子タルハ・トプチュと結婚している。サレ・ダヴトオールはまた、エルドアン首相の妹、ヴェシレ・イルデンさんの親友として知られている。

夫アフメト・ダヴトオールが外相となった後、多くの公的扶助福祉キャンペーンの支援者であるサレ・ダヴトオールが、産婦人科医として中絶反対の立場を取ったことが多く議論されてきた。セミナー、ミーティングに加わって中絶の反対理由について話したサレ夫人が在籍する「健康と社会サービス財団」の目的の1つは中絶反対運動である。この財団の「生きる権利―中絶」プロジェクトでサレ・ダヴトオールは積極的に活動した。財団は2006年に、公益のために尽力する組織として認められ、課税が免除された。エルドアン首相の娘エスラ・アルバイラクさんの主治医でもあるサレ・ダヴトオールは、現在イスタンブルのバフチェリエヴレルにある私立診療所に勤めている。

サレ夫人は、あるルポルタージュで、妻として、母として生きた最も困難な時代は1988年にアフメト・ダヴトオールが医学論文の為にエジプトとウルドゥーへ行ったときであるとし、2人目の娘が生まれて3.5ヶ月の時に夫と離れて暮らしたことをこう語る。「あの頃が私たちにとって一番困難な時でした。道は始まったばかりで、私は医師としての仕事もしていました。2人の幼い娘たちは、父親を必要としていました。上の娘は毎晩2時間も「お母さん!お父さんはどうして行ってしまったの?」と聞いてきた。あの頃は、今のように電話やインターネットはなく、話ができたのは1週間、あるいは15日に1回だけでした。娘のセフレは、通り過ぎる飛行機を眺めては、『お父さんはこの飛行機で来るよ』と言っていました」

■「何をしても正しく行う」

サレ・ダヴトオールは、数年前夫の出世に関してこう述べている。「アフメトさんは、何をしても正しく行います。今でも私のこの考えは変わっていません。アフメトさんが私の選択がもたらした困難に立ち向かったように、そして今も立ち向かってくれているように、私も彼の選択がもたらす困難に耐えます。それどころか応援します。彼は私たちの国の為に、人々のために、私たちのために、子供たちの為になることをするでしょう」

トルコは、2009年にアフメト・ダヴトオールがトルコ議会で宣誓した時に初めてサレ・ダヴトオールを見たが、そのときは状況に緊張していたようで、顔がこわばっていた。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:四村美里 )
( 記事ID:35141 )