ダヴトオール新内閣、注目の4閣僚
2014年08月29日付 Radikal 紙

アフメト・ダヴトオール・トルコ共和国第26代首相は新内閣を発表した。第62代内閣では4人の新閣僚の入閣と5大臣の入れ替えがあった。

アフメト・ダヴトオール首相の後任としてメヴルト・チャヴシュオール氏が外相となる一方、チャヴシュオール氏が去ったEU担当相にはイスタンブル選出のヴォルカン・ボズクル議員が就いた。

アンカラ選出のヤルチュン・アクドアン議員、ギレスン選出のヌルエッティン・ジャニクリ議員、国会外から入閣したヌマン・クルトゥルムシュ氏が新たに閣僚となった。

第61代内閣に名を連ねたクルクカレ選出のベシル・アタライ議員、リゼ選出のハヤティ・ヤズジュ議員、アンカラ選出のエムルッラー・イシュレル議員は入閣しなかった。

■新閣僚たち

・ヤルチュン・アクドアン副首相

エルドアン首相の時代、首相に最も近い人物であり、イェニ・シャファク紙の記事でエルドアン首相と党の見解を世間に伝えていたことでも知られるアンカラ選出のヤルチュン・アクドアン氏は、AKP(公正発展党)内で「ポストエルドアン」時代の最重要人物の一人になると予想されていた。

ビュレント・アルンチ副首相が大頭領選前に行った「思春期の若者」批判に正面から反発し、出演したテレビ番組で自分の年を明かして「私は思春期の若者ではない」と言ったことが長い間取り上げられていたヤルチュン・アクドアン氏は、今やアルンチ氏と共に副首相を務めることとなった。アルンチ氏は第61代内閣の報道官であり、最近関係者の間では第62代内閣の報道官はヤルチュン・アクドアン氏になるのではないかと言われていた。

・ヌマン・クルトゥルムシュ副首相

ヌマン・クルトゥルムシュ副首相は最も古い形の党の「ミッリー・ギョリュシュ」を踏襲する幕僚の一人だ。2008年にSP(至福党)の党首に選ばれたクルトゥルムシュ氏は、2010年にエルバカン氏との意見の対立から離党し、すぐ後に「ムスリム民主主義者」から「トロツキスト」まで様々な層を含むHSP(人民の声党)の結成に関与した。HSP党首時代のエルドアン政権に対する厳しい批判で知られるクルトゥルムシュ氏は、2010年101月に設立され たHSPを2年も経たない内に解党し、エルドアン氏の呼びかけに応じて2012年にAKPに参加した。クルトゥルムシュ氏は、彼が来期から職務を引き継ぐ予定の、アリ・ババジャン氏と共に副首相となる。

・ヌルエッティン・ジャニクリ税関通商相

アンカラ大学政治学部卒のジャニクリ氏は1997年1月、RP(福祉党)・DYP(正道)の連立政権時代にイスタンブル税務署長に任命された。政権崩壊後、職を奪われると、同年退職した。イェニ・シャファク紙で5年間経済に関するコラムを担当した。AKPの設立メンバーとなった。2002年の総選挙で第22代ギレスン選出議員となった。2007年と2011年にもギレスン選出議員となったヌルエッティン・ジャニクリ氏は党の「3期の原則」に抵触する議員の一人だ・・・。

・ヴォルカン・ボズクルEU担当相

トゥルグト・オザル氏が首相でもあり大統領でもあった時代に外務省顧問、官房局長を歴任、デミレル大統領の時代にも官房局長を務めたヴォルカン・ボズクル氏は、EUとの関係が最も進展した2005~2009年の間、大使としてEUの常駐代表に就任した。2009年に就いたEU事務局長を 2011年3月に辞職し、2011年総選挙でAKPのイスタンブル選出議員に選ばれた。2011年7月には国会の外交委員会の委員長に、2014年4月には トルコ・アメリカ議会友好団の代表に選ばれた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:35221 )