くノ一のはオールマイティー:イラン紙、女性「ニンジャ・レンジャー」を直撃取材(上)
2014年09月04日付 Iran 紙


【イラン紙木曜日付録号14面:スーサン・サーデギー】「ニンジャ・レンジャー」は「ニンジャ」と「レンジャー」の二つの語からなる言葉で、数種類の武術に長けた人物を指す。武術のスタイルの中で、ニンジャ・レンジャーはあらゆる運動を得意とするスーパーな人たちだ。この武術をイランで創始したのはフィールーズ・ハンジャリーさんで、この武術を教える総本山は〔テヘラン州西部の〕シャフリヤールにある。フィールーズ・ハンジャリーさんは1383年〔2004/05年〕、〔‥‥〕忍者たちを強くし、世界に紹介するために、イランでこの武術の大変革に着手した人物だ。

 この武術は「武術連盟」に加盟する協会のもと、全国25の州でたしなまれている。テヘランにはニンジャたちを養成する教室が、南メフラーバード、ファトゥフ広場、ジャンナトアーバード、フェルドウス通り、ピールーズィー通り、シャリーアティー通り、タジュリーシュなど、8ヵ所存在する。男性だけでなく女性も、この武術に励んでいる。このリポートは、イランでこの武術の師範にまで登り詰めた2人の女性にクローズアップするものである。

女性ニンジャ・レンジャー

 シャヤーン・モハンマディーさんは、ニンジャ・レンジャーの師範の一人だ。44歳になる彼女は、小さい頃から武術に関心があったという。彼女はまず、兄(弟)と一緒にカンフーを始める。彼女の活動は兄(弟)とともにスタートしたものだ。兄(弟)と一緒に教室に行った日から、家に帰ると覚えたテクニックを二人の姉妹ともう一人の兄弟に教えるようになったという。

 彼女は結婚後、好きだった武術を続けることができなくなったが、しかし彼女の娘たちがカラテ道場に通うのようになると、状況は一変する。娘たちの師範を務めていた人物が、彼女にも空手を学ぶよう勧めたからだ。

 この出来事と、彼女がもともと武術に対してもっていた関心が、彼女が再び武術を学び始めるきっかけとなった。彼女はすぐにカラテを習得、試合でも1位や2位になるまでになったという。彼女のカラテ熱はさらに高じて、師範の資格をも獲得した。彼女はまた、武術だけでなく、しばらくの間バレーボールにも手を染めたが、主な関心は武術だった。彼女はキックボクシングも始め、コーチになる前に参加した試合では優勝経験もある。現在彼女は審判、主審、そしてコーチの資格を持つ。

 もう一人の女性はファーテメ・ドゥースティーさん(28歳)だ。彼女は子供の頃から武術映画が好きで、父と4人の兄弟と一緒に、この手の映画をよく見ていたという。彼女の武術への関心は、このときに形づくられた。

 武術は20歳の時に、誰にも言うことなく始めた。武術に関心を持っていたことを知っていたのは、家族の中で母親だけだった。81年〔2002/03年〕、カラテを始めた〔※ママ〕。武術を始めるのが遅かったのは、勉強を続けていたことと、自宅の近くに女性専用の武術の教室がなかったことが原因だったという。独立後、カラテと極真を始める決意を固めた。彼女のこの武術への関心は極めて高く、一日に8時間も練習したほどだった。その結果、2009年にはアジア・メダルを中国から獲得〔※ママ〕、国際審判の資格も得た。

 彼女はニンジャ・レンジャーのテヘラン州代表で、体操や極真で第1級コーチの資格を持つだけでなく、武器訓練でも85年〔2006/07年〕に第3級コーチの資格を、88年〔2009/10年〕には第2級コーチの資格を得ている。

〔‥‥〕

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:グノーティセアウトン )
( 記事ID:35329 )