死刑囚最期の独占インタビュー―幼い娘への辛く隠された想いを語る(上)
2014年11月09日付 Iran 紙


【ショック班】危険な武装強盗犯の一人で、裁判で死刑を言い渡された男が、絞首台を前にして、妻と幼い娘に対して自らを恥じた。この武装強盗犯は昨日の夜明けに、公衆の面前で絞首刑に処された。

 あらゆる人々を恐怖に陥れたこの男は、今声を詰まらせながら、妻と子供に「俺を赦してくれ」と話した。

私はナーデル、通称サイード、38歳だ。かつて印刷工として働いていた。1375年(西暦1996/97年)に、70キロのアヘンを所持して、〔イラン北部ギーラーン州の〕ラーヒージャーンで逮捕され、投獄された。刑務所の開放房での禁固刑に服していたが、しかし2年後一時帰宅が許されたために、マシュハドに行って、そこで逃亡した。

兄弟のアリーが、貴金属店への窃盗をやろうと言ってきた。彼は戦闘用のカラシニコフ銃を一丁手に入れていた。私たちは、別の兄弟の息子であるメフディーと組んで、貴金属店への窃盗計画を立てた。オートバイに乗って複数の貴金属店を襲撃し、カラシニコフ銃やハンマーで脅して、強盗に手を染めた。戦闘用の銃で16回にわたって武装強盗を行った。それ以外は、ハンマーで脅迫して行ったものだった。

1389年(西暦2010/11年)に私たちは逮捕された。兄弟のアリーは逃亡時に車から落ちて、命を落とした。甥のメフディーは禁錮20年、もう一人の共犯者のジャラールは禁錮19年の刑を言い渡された。自らの行いによって運命を台無しにしてしまった私は、マシュハド裁判所第5法廷での事件の審理終了後、死刑判決が言い渡され、それは最高裁判所で支持された。

この命が尽きる最後の瞬間に私が言えるのは、ただただ自分のことが残念だ、ということだけだ。1382年(西暦2003/4年)に私は結婚した。かわいそうな妻は、多くの期待と希望を胸に、私のところに嫁いできた。私たちはかわいい顔立ちときれいな声をもった娘を設け、モジュデ〔吉報、の意〕と名付けた。

娘は現在8歳だ。唯一の願いは、彼女を抱きしめたいということだけだ。もちろん、私は妻に、子供をここに連れてくるなとメッセージを送ってある。今日、子供には学校がある。子供にこのような姿の私を見せたくはない。娘と妻に対して恥ずかしい思いだ。私は彼女たちにとって恥さらしだ。


つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:32hasan )
( 記事ID:35911 )