■モロッコ:モロッコ・フランス間の静かな危機
【ムハンマド・アシュハブ】
フランス人は、自国と、マグリブ周辺の地域二国との関係を説明する際に、フランス・モロッコ間の伝統的な関係が双方に悪影響を与えなかったように、フランス・アルジェリアの相互理解もモロッコに損を与えるものではないと言うことが多い。しかし一般的に有効であったこの説明も、今日では、反均質化(の動き)により、もはやその限りではない一般的に効果的であったその説明は、今日では、反均質化(の動き)により、もはや有効ではない。モロッコとフランスの間では、静かな、しばしば現れる危機があり、そしてアルジェリア・フランス関係の中心軸を激化させる大きな経済・政治的開放だ。
フランス・アルジェリアの「蜜月」の痛みに直面したモロッコから、政治的反応が現れるとは予期されない。その反応は、友好関係か敵対関係かを選ぶ国家の主権の性格に鑑みれば、受け入れられる政策ではない。同様に、フランスの政策が180度転換することも起こりそうになく、実際、経済・金融危機によって利害対立で優位に立とうとした。しかし、それは、フランスとモロッコの危機が異なった経緯で起こったことを排除するものではない。
フランスとアルジェリアとの対話が、で過去のアレルギーの川を断ち、二国を経済・商業の重要性や政治的バランスに関する多くの合意に向かわせる中、フランスのド・ゴール主義右派の一部は声高に、フランス・モロッコの関係を崩壊から保護することをや、特にアフリカ、対テロ戦争、地域の安定のための支援における、相互戦略の必要性の継続を呼びかけた。
これが、フランス人が国内の対立と国外の地域的余波の側面をすげ替えた介入の結果だとしても、モロッコとアルジェリアを相互満足(の状態)に長く耐えてきたフランスの平等性のバランスが失われたと感じた結果だとしても、そこには、フランスの内紛は海外の舞台、特に北アフリカにおけるフランスへの伝統的な影響の中心地からを、批判や避難の余地を得てきたという感情があった。フランスの一般的傾向とエリゼ宮の住人(フランス大統領)のイデオロギー的傾向を結びつけるのが妥当であろうとなかろうと、確かなことは、フランスの社会主義者と右翼と中道の立ち位置の継続が、常に諸国間の関係軸と地中海南岸諸国の人々に反映されるということだ。
しかし、サハラ問題とEUとの戦略的パートナーシップについてのフランスによるモロッコ支援政策に不安を感じていたアルジェリア人は、フランスへの門戸開放に代わる政策はないと理解した。また、フランス人が、リビアとサヘル地域周辺につながる、アフリカへの最短の扉を必要としていることは、古くからの歴史的相違を無視し、二国間および地域に肯定的な影響を及ぼす全ての道を開拓する新たなページを開く以外では埋められないと悟った。
しかしこれはフランスの政策に限った話ではなく、エリゼ宮でモロッコとアルジェリアが一致する傾向が見られるたびに、その二国の対立は回復に向かう。そしてフランス・アルジェリア関係の問題に一石を投じると決めたセーヌ川の淀んだ水がかきまぜられた後、危機の影響はフランスのアフリカ方面におけるバランスの最後の砦と見られているモロッコに広がった。
(後略)
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( 翻訳者:田村颯 )
( 記事ID:36158 )