Ahmet Hakanコラム:ギュレン教団捜査の8つのお粗末
2014年12月16日付 Hurriyet 紙

一、情報の取り扱いがあまりにもお粗末であった・・・。「トルコではビュレント・アルンチ副首相すら知り得ないことをフアト・アヴニは知ることが出来る」という認識を、敵にも見方にも植え付けてしまった。

二、捜査も立ち入りも行わないという。なのに、まるでザマン紙やサマンヨルTVには立ち入り捜査を行っているというふうになってしまった。そして世界へ「トルコでは新聞やテレビが警察の権限で強制的に捜査されている」との印象を与えてしまった。

三、呼び出せば「即座に」やって来るであろう、エクレム・ドゥマンルとヒダーイェト・カラジャを、新聞社やテレビ局にわざわざ出向き逮捕した。そして、両者に最高の「ショー」を演じる機会を与えてしまった。

四、捜査を行った警察官があまりにも混乱しており、無能で、仕事を理解していなかった・・・生放送中に4階から階段をのろのろと降りてきては、知らないうちに「不当な扱いの映像証拠」を提供した。

五、「世界一危険な組織」と見なし、これまで世の中の全ての悪の根源であるとしてきた教団に対する、センセーショナルな捜査であったが、その捜査の裏側はあまりに空っぽで頼りにならないものであった・・・「え?これが何カ月も悪魔の様にののしってきた教団がやった、最大の悪事なの?」という疑問が全員の頭に浮かんでしまった。

六、初めから終わりまで一貫してお粗末で、軽い考えで行い、結局失敗に終わった捜査であった・・・例え反政府勢力が「政府は報道の自由の敵だと示してやろう」と企てていたとしても、これほど上手くはいかなかっただろう。

七、人々のコミュニケーションをコントロールできなかったし、社会を誘導することも出来なかった。捜査を支持しようとしていた人々にすら、正しく誠実な情報を与えなかった。その結果、反教団の人間さえ味方に付けられなかった。

八、12月17日から一年という日を数日後に控える中行った今回の捜査で、「12月17日贈収賄捜査」から耳目をそらそうとした。だが、出来なかった。なぜなら、今回の捜査が人々に、まさに「12月17日の捜査」を思い出させたからだ。

【後略】

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:36227 )