2年前にスルタン・アフメトからキャウトハーネに移動した首相府オスマン文書館で水が止められていない。
湿ってしまった歴史的史料と書庫の壁の見た目が明らかになった後、現在もある研究者グループは、トルコ技術者建築家会議所組合(TMMOB)の建築家会議所の先導で首相府国立文書館オスマン文書局に対し裁判を開く準備を整えている。研究者達の多くは博士課程の学生であり、一昨晩TMMOB建築家会議所のカラキョイにあるイスタンブル広域都市支部で一堂に会した。会合の目的は、オスマン文書が保存されているキャウトハーネの建物とここで行われたサービスに関連してここ数年おこなってきた観察を共有し、文書上に発生した変形や、建物の亀裂や水漏れといった懸念材料の発生に対して講じうる措置を話し合うことだった。論文のため年に4、5ヶ月、文書館の閲覧室に訪れる調査者達は、オスマン文書館の湿ってしまいあまつさえ水滴が蓄積してしまった歴史的史料が提供されること、水が垂れている閲覧室、水路の通過する書庫と湿気で膨らんだ壁を見ることに不快になっている。
研究者達は、建築家会議所のこの会合の初回を先の7月に行い、ここで彼らがとった決定に基づいて、建築家会議所の関係者と一緒に建物のすべての箇所を見ることを要望すると、イスタンブル県庁とオスマン文書局に伝えた。その経緯を建築家会議所イスタンブル支部執行部のアリ・ハジュアリオール事務局長は以下のように話している。
「イスタンブル県庁と首相府オスマン文書館総局に一筆書いて、この件に関する専門家の委員会を設け、彼らが定めた日時に、彼らが指定する人々と一緒に、文書館を訪れたいと思っていると伝えました。我々の目的は、文書館の状態に関し世論に伝え、[文書館に関する問題の]主張が正しいのかそうでないのかを実地検分することでした。返答はありませんでした。我々は要望を繰り返しました。今回県庁が答えてくれ、国立文書館に『この件に関しについてどう対処するのか、私と関係者に返答されたい』と書面が送られました。そこで文書館から我々に『キャウトハーネ区に建てられた文書館全館で、史料の保存のためのあらゆる種類の現代的な措置がとられ、自動化システムで制御されています。システム上で除湿と加湿が世界水準で行われているのです。歴史的史料に好ましくない状態が発生するいかなる状態も見受けられません』と2ヶ月前に返答をくれました。」
■基準にそぐわない
研究者達の主張によると、文書館では世界水準に沿っているとはいえないという。匿名を希望するある研究者は「国際アーカイブ評議会(ICA)の水準によると、文書館の建物の建設予定地を選ぶ上で最も重要な基準の1つに、その地域に最低100年以上前までに洪水や浸水が発生していないという条件があります。キャウトハーネでは先の7月に洪水が発生していました。さらに前の日付にさかのぼると、ミッリイェト紙の1963年12月19日付けの記事によれば、キャウトハーネで人々が洪水により屋根に登って、小舟で救出されたといいます。写真でも見ることが出来ます。この事故から100年経っていません」と話す。一昨日の決定により、研究者たちと建築家会議所は、国立文書館総局に再び要望を送り、専門家の委員会と共に文書館を訪問する旨を繰り返す予定だ。もし否定的な答えが返ってきたら、今回(来年一月末に向けて)法的措置に出る予定である。
会合の終わりに我々は参加者たちの写真を撮影しようとした。もし顔が見えてしまえば、もう二度と文書館に入れなくなり、また彼らの論文を書き終われない恐れがあるので、研究者達は我々のカメラレンズに背中を向けてポーズをとった。一方で流暢にオスマントルコ語による歴史的史料を読めるようになるために努力している研究者達、もう一方ではオスマン語が必修かもしくは選択科目であることの議論が…。この事態は相当皮肉な出来事ではないだろうか?
■事態を伝える写真
匿名を希望するある研究者は「この写真は先の9月に建物群の書庫に平行する地下階で撮られました。写真の撮られた壁の下には塗料の箱がありました。なぜなら地下からにじみ出た水の圧力によって継続的に亀裂が入り、膨張した壁をしばしば塗って、形跡を上から覆っているからです。書庫の理想的な湿度は65%を越えないことなのですが、壁の状態がこうなのです。文書館の書庫の状態はどんなものだと思いますか?」(と話す。)文書館の常連たちは(文書館を)ずっと見てきて、多くの見たものを撮って伝えている。しかし(彼らが)嘘や誹謗中傷、学校での集団いじめに晒されることのないようにと、この写真は広められないのである。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:36368 )