アンカラ城址に新考古学博物館
2015年03月08日付 Zaman 紙


 アンカラで初の私営考古学・美術博物館であるエリムタン考古学・美術博物館が歴史的アンカラ城址地域で3月14日にオープンする。実業家ユクセル・エリムタン氏が55年かけて作りあげたコレクションからなるこの博物館では2000の作品が展示される。以前は小麦用倉庫として使われていた当博物館には1200万トルコリラが費やされたが、中の展示品はその何倍もするという。

 トルコには280の私営博物館があるが、このうち考古学博物館はたった7つだ。3月14日以降この数は8になる。アンカラ初の私営考古学・美術博物館であるエリムタン考古学・美術博物館は、歴史的城址地域で来週オープンする。実業家ユクセル・エリムタン氏が55年間購入した2000の歴史的物品コレクションが存在する博物館には、キュルテペの粘度版、ウラルトゥのベルト、ローマのグラス、ビザンツの印章、ローマやヘレニズム時代の硬貨に加えて、それら時代のジオラマも展示する予定だ。「3つのアンカラの家」が新たに作りあげられ(修復でなく)建設される当博物館の建築家たちのうち、アイシェン・サヴァシュ教授は「ここはアンカラ城の城壁外の建物で、恐らく小麦用倉庫でした。しかしすでにホームレスたちの家でした。『3つのアンカラの家』との認識があって、我々はそれを壊すことを望みませんでした」と述べる。

■初の現代美術品展示はアレヴ・エブズィヤ氏

 エリムタン考古学・美術博物館の収蔵品の中には世界最古と考えられている、記録価値のあるファイユーム(ミイラ)肖像画が存在する。ファイユーム肖像画は、古代の人々を描くものであり、また当時のファッション(の観点)から美的理解と社会生活に光を当てるものであり、ローマ人上流階級を真似たエジプト人女性、 男性、子供たちの衣服、アクセサリーや品物を描いている。この肖像画は博物館のメイン展示ホールで展示される。キュルテペの粘度版からウラルトゥのベルトまで、ローマのグラスからビザンツの印鑑までに及ぶ選定品は、収蔵品の重要な部分を形成している。博物館の他の収蔵品でいうと、別の時代の硬貨やインタリオリングがある。博物館は収蔵品の展示と共に、考古学と美術を併置する事になる私有の現代美術品の展示も行う。この展示の初ゲストは世界的に知られている陶芸家、アレヴ・エブズィヤ氏だ。

■すべてはリングストーンに始まった

 ユクセル・エリムタン氏は1960年代にメルスィンでひとつのリングストーンに始まるコレクション収集の物語を以下のように説明している。

 「ジョセフという人物の宝石商の小さな店があって、その店に時々行っていました。店主とある日店に座ってコーヒーを飲んでいたら、2人の村人が訪れて、彼らは手に小さな石を持っていました。ジョセフに何があったのかを尋ねると『リングストーン』だと言いました。村人たちは遺跡の場所を雨の後に歩き回るそうで、リングストーンやら指輪やらそういうものを見つけるのです。この答えを聞いて、私は家にある器にはまっていた、父の形見の小さな石を思い出しました。この石を取ってジョセフのところに持って行ったら、ローマ(のころ)以来使われているリングストーンだと言いました。このように、その年あたりから今日に至るまで続けている、私のコレクションの旅が始まったのです。」

 ユクセル・エリムタン氏(87)は、コレクションの他にトルココレクター協会の設立者である。副会長でコレクターのトゥルグト・トクシュ氏とともに、アンカラのどこかで壊れた家があってもそれらの修復のために何年も奔走している。トルコで考古学を言うと初めに頭にうかぶのは「宝探し」であり、コレクターに(対して)も密売者のように扱われる。このような認識が生じるのが普通である。協会のメンバーはたった36人だが、一方でコレクターの数は1700人である。彼らのうち何人が考古学分野で収集を行っているのかはわからない。トクシュ氏は「人々が村で考古学の品々を見つれば、公営博物館に持っていく必要があります。しかし何かが身に降りかかるとの恐怖のせいで、持ってこないのです。品々は密売人の手に渡ったり、コレクターに届きます。ユクセル・エリムタン氏のようなコレクターたちはこの品々が国外に流出することを予防しています」と話す。エリムタン考古学・美術博物館は、考古学というと「宝探し」や「密売」といった認識を変えるための有益なステップの一つである。しかしどれほど貢献しうるかは時が示そう。博物館は3月14日以降月曜以外毎日10 時から18時の間に訪問出来る。(www.erimtanmuseum.org)

■アンカラ城の隣人

 エリムタン考古学・美術博物館はアンカラ城の入口の門の向かいに位置している。敷地は文化観光省から25年ローンで借用した。地域では同時に、アナトリア文明博物館があるマフムト・パシャのベデステン、クルシュンル・ハン、歴史的時計塔、チュクル・ハンと、先年再び私営博物館に転換されたチェンゲル・ハン・ラフミー・M・コチ博物館がある。当博物館の建築は建築家アイシェン・サヴァシュ氏、ジャン・アケル氏、オヌル・ユンジュ氏が設計し、地域の歴史を考慮しながら建設された。たとえば窓は城の城壁上にある、見張り塔の窓の様式を踏まえてデザインされた。エリムタン考古学・美術博物館のエミン・マヒル・バルジュオール館長は、考古学博物館を19世紀の型から脱させて、現代の博物館の目的を実行することに焦点を当てると述べ、博物館の来館者がもはやただ閲覧することや情報を得ることだけでは満足せず、(自ら)参加し広めていくことを望んでいるとした。

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( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:37069 )