ギュンセリ・カトー「伝統を後進的田舎文化と蔑む人々がいる」
2015年03月13日付 Zaman 紙


画家でミニアチュールと舞台の芸術家のギュンセリ・カトー氏は一時期休止していた芸術活動をミニアチュールで再開した。「芸術は売るために行われるものではない」と語るカトー氏と彼女の過去と現代芸術について話した。

彼女の幼少期はアナドルヒサルで始まり、キュタヒヤへ続く…。若い頃にスュヘイル・ウンヴェル氏との出会い、その後の画家としての活動と日本での様々な出来事…。極東 芸術の専門家、画家、ミニアチュールと舞台の芸術家のギュンセリ・カトー氏は、ミニアチュールに新たな解釈を加え、大きくし、豊かにしている…。一頭の馬に絵を描き、文字を書き、花を描く…。「芸術は売るために行われるものではない」との発言が彼女の仕事への愛を示している一方、日本での結婚は「私の最大の経験だった」と振り返る。

習字や絵にも関わったが、彼女はミニアチュールの芸術家として知られた。最近作品の発表を休止していたギュンセリ・カトー氏は「オスマン朝時代やセルジューク朝時代風のミニアチュールをつくる必要はないと思う。それらは既にあるのだ。この時代にスルタンを描くほど意味のないことはない。過去のものが影響しているかもしれないが、それをコピーすることはしたくない」と最近の伝統芸術を批判している。

■母はおもちゃの代わりに絵の具を与えた

ギュンセリ・カトー氏は子供の頃の母親と父親の方針で芸術への興味が増したと語り、「美しいものの中で育つと必ずものを見る美学が開花するものだ」と述べた。ギュンセリ・カトー氏は3人姉妹だ。一人はデザイナー、一人は歯医者で写真家でもある姉妹は芸術と共に育った。家族の芸術に関する方針について「母は私たちにおもちゃの代わりに絵の道具を与えた。私たちはそうやって遊んでいた。もちろん子供の頃の方針と母の自分の子への関心が非常に重要だ」と語っている。

■芸術に没頭する人はお金のことを考えない

カトー氏は芸術をしながらお金を稼ぐことについて次のように批判している。「私は絵を描きたいと言った時に、これはお金を稼ぐという意味にはならない。絵を描き、芸術に没頭する人間はお金のことを考えない。絵を描くことで生計を立て、家庭を持った画家などいなかっただろう。世界のどの画家も絵でお金を稼がなかった。レオナルド・ダヴィンチはずっと金がなかった…。もちろん例外もある。ピカソ、サルバドール・ダリといった画家は裕福だった。」

高校時代にスュヘイル・ウンヴェル氏と出会ったギュンセリ・カトー氏は、ベイオールでスュヘイル・ウンヴェル氏とそのグループが墓石について行った展覧会につ いて「私の人生の転機で、芸術における最初の一歩を踏み出した場所だ」と言う。これで週に一度装飾やミニアチュール、壁画に関するウンヴェル先生の授業に参加し、高校卒業後に試験を受けたカトー氏はマルマラ教育学部の美術学科で首席で入学した。

■トルコは世界で名が知れるような国ではない

1981年にギュンセリ・カトー氏の日本時代が始まった。「日本文化を深く学ぶにはどうしたらいいのか」と考えた時、日本の奨学金が得られ、22歳で日本へ渡った。東京芸術大学が外国人留学生を受け入れるのは初めてだったため、これは簡単ではなかった。「1980年は日本人気が出始めた時代だった。中東の若くして伝統を分かっている芸術家たちを国に招待していた。アジアの全ての国で次のような状況がある。伝統を内面化しているのだ。トルコでは「田舎、後進的」といって排除している。これをしているのは国家とシステムだ。芸術は常にブルジョアであり、特権階級に向けたものである。民衆芸術は民衆の関心を集める。芸術と手工芸とがある。これらは切り離すことのできないものだ。」ギュンセリ・カトー氏は理解を得るのに非常に苦労したが成功し、東京で芸術学校を開いた。30年間教育を続ける学校では未だに学生やアシスタント、講師が活動を続けている。

「トルコの伝統は世界で名が知れるようなものではない。廃れてこれをただのお土産レベルで使っている。しかしトルコの伝統は必ずしもオスマン朝の伝統ではない。セルジューク朝やアナトリア文明、ビザンツ帝国やローマ帝国もある。文化は相互に影響し合うことで新しい文化を生む」と述べ、トルコは社会として過去のものを消化せずに、別々の授業で学んだものを使って何かをしようとしていると主張している。この状況を憂いていると述べ、「これがもう少し高いレベルの芸術や国際基準で求められるものになってほしい。イランやエジプトの芸術のように、だ。嫌いな国の芸術家たちが世界を席巻しているならば、立ち止まって考えなければならない。政治的状況は芸術に影響する。私たちの最大の問題は人を表面上のことだけで評価するところだ。この偏見を壊せない限り、お互いを理解し合えないだろう。トルコはそれほど相対立する国だ。だが私はこの国が好きだ」と語る。

■NGOの活動が政治に利用されてはならない

「最近アフリカ訪問を実現できた。私は、宗教、言語、人種、政治観には興味がない。招待されればどこへでも行く。キムセ・ヨクム協会の活動を知ってはいたが、詳しくは知らなかった。私はブルンジに行った。素晴らしい旅となった。トルコ学校や孤児院を訪問した。このような活動を続ける必要がある。世界の国々がこのようなことを何年間も行っており、トルコも続けなければならない。ボランティアが果たしてきたことはとても偉大だ。私たち皆がNGOを通じて何かを行っている。NGOがなければ世界は成り立たないだろう。キムセ・ヨクム協会のような協会が非常に成功し、良い仕事をしている。芸術家はこのような活動を支援しなければならない。金銭面だけでなく、まずは精神的に支援する必要がある。このような活動も政治に利用されてはならないと思う。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:37115 )