オジャラン・メッセージ、2013年から2015年へ
2015年03月21日付 Radikal 紙
アブドゥッラー・オジャランの書簡が、ディヤルバクルのノールーズ祝賀で読み上げられた。その中でオジャランは、PKKに「新たな段階のための会議」を呼びかけた。オジャランは書簡で、議論を呼んだ「監査委員会」以外に「対面委員会」を強調しており、今回の書簡では2013年と2014年に同じくノールーズに読まれた2通のメッセージとは全く違う要素が見られる。
アブドゥッラー・オジャランはディヤルバクルのノールーズ祝賀で読まれた書簡の中で、PKKの手によって実行されてきた40年間の武装闘争について「もはや続けられ得ない」と述べた。ここ3年間、ノールーズにディヤルバクルで読み上げられてきたオジャランのメッセージは、解決プロセスの進捗状況を明らかにしている。2013年に撤退の呼びかけによってプロセスを宣言し、2014年の書簡ではプロセスで生じている問題が主となっていた。今回の書簡はというと、新たな時代の兆候が注目を集めた。オジャランはこの歴史的な書簡で、PKKに新たな段階のための会議を呼びかけた。政府との間で実施された解決プロセスについては、「監査」委員会以外に、監査委員と国会議員の双方からなる「対面委員会」の設置を呼びかけた。オジャランの書簡のもう1つの重要な主張は、クルド運動はトルコから分離しないということだった。オジャランは、PKKの会議以降に想定している政治システムを、「トルコ共和国内での自由で平等な憲法上の市民権の原則のもと、民主的なアイデンティティを持つ民主的な社会」という言葉で語った。
■オジャラン、2015年ノールーズのメッセージ
オジャランの書簡で、IS(イスラム国)について「帝国主義の力が原因の暴力」だと述べた。
■「我々の闘争は続けられない段階に達した」、PKKは会議を
オジャランは、PKKの手で始められた40年の闘争がもはや「続けられ得ない」ようになったと述べた。オジャランはドルマバフチェで人民の民主主義党(HDP)の代表団と政府が共同で発表した10か条の宣言に言及し、武力闘争に終止符を打つ会議への呼びかけを繰り返した。オジャランは、「宣言の必要な諸原則における合意を作り出すこととともに、PKKがトルコ共和国に対しおよそ40年に渡って行ってきた武力闘争を終わらせ、新たな時代の魂に則した政治的・社会的な戦略と戦術を明らかにするために会議を行うことは、必須かつ歴史的なことだと考えている」と述べた。
■対面委員会設置を
オジャランは書簡の中で、トルコで大きな議論を呼び、エルドアン大統領も明確に反対を表明している「監査委員会」にも言及した。しかしオジャランは、監査委員会以外にも国会議員と監査委員会のメンバーを含む「真実と対面の委員会」を望んだ。
■「分離はしない」
オジャランは書簡でクルド運動の未来がトルコ共和国の中にあることをはっきりと述べた。オジャランは、今後行われる会議とともに「新たな時代が始まる」とし、新たな時代において目指すシステムを次のように説明した。「トルコ共和国の中で、自由で平等な憲法上の市民権の原則のもと、民主的なアイデンティティを持つ民主的な社会」。
■トルコだけでなく、中東にも同様のシステムを
オジャランは、想定しているシステムについて、トルコのみではなく中東にも適用されることを望んでいるということも書簡に記した。オジャランは、「我々の国と国民のための正しい事実は、同時に、神聖なものに溢れるこの地域にも有効だ」と述べ、「国民国家」の代わりに「民主的な共同の家」を提案した。オジャランは、「国民国家自体の中に民主的な政治と民主的な共同体の新たな種類を実現すること、また国民国家間で中東の民主的な共同の家を構築することを呼びかけている」と述べた。
■ISは「帝国主義が原因の暴力」
オジャランは、政府のメンバーとは異なりISを「ダーイシュ」と呼ばず、この組織は「帝国主義の力が招いた暴力」だと述べ、ISの行動について「残忍な虐殺」と述べた。
■コバーニーに特別な挨拶
オジャランは書簡の中でコバーニーの抵抗運動に特に触れ、女性と若者たちにも特別に呼びかけた。女性と若者たちに「自由と平等」の戦いに積極的に関わるよう呼びかけ、コバーニーについても、「エシュメの魂」に言及した。
■住所も記載、「イムラル刑務所」
オジャランは、2013年にノールーズを祝うために読まれた書簡と同様、住所も記載した。住所は、「イムラル刑務所」と明記された。
■2014年メッセージに見る解決プロセスにおける問題
ディヤルバクルで2014年のノールーズに読まれたメッセージには、今回発生している問題が反映されていた。オジャランは2014年のメッセージで、「歴史が我々に示してきたように、確固たる平和のリーダーシップが示されなければ、歴史的な問題は、わかっていることしか学ばず、概して多くの損失を伴う変化によって答えを作り出す。我々の眼前で最も熱烈に答えを待っているものは、互いに繰り返す攻撃によって進み続けるのか、それとも完璧かつ根本的な民主主義によって進み続けるのか、という問題である」と述べ、さらに交渉に移りたいという要望を表した。「現時点で交渉の体系化のため法的な枠組みは必須となった。」2014年のノールーズ以来、解決プロセスにおいて問題が続いた。トルコは2回の選挙を経験した。地方選挙と大統領選である。その後も最も重要な転機が訪れた。コバーニーがISによって占領されたことに始まる、10月6日から7日の事件だ。会談は中断され、双方とも再びテーブルにつくまでに痛みを伴う過程を経て、解決プロセスは明確な呼びかけと2013年のノールーズ同様に注視されたドルマバフチェの発表によって再び芽吹いた。オジャランはPKKに対し武装放棄の決定をするため「会議を招集せよ」という呼びかけを行った。
■2013年と2015年の書簡の違いは?
今日ディヤルバクルで読まれたオジャランの書簡は、2013年にこちらもノールーズに呼ばれた最初のメッセージとは大いに異なる要素を含んでいる。
■2013年は「武器は沈黙すべき」、今年は「闘争はもはや続けられ得ない」
オジャランは、2013年の書簡では、当時期待されていたのとは反対にPKKの過激派に「武器を放棄せよ」とは言わず、「武器は沈黙すべき」という表現を使った。今回の書簡でも、再び武器の放棄に直接提案しないことを選択した。オジャランは今回の書簡で、「我々の闘争は続けられ得ない段階に達した」という表現を選んだ。オジャランは、2013年付けの書簡では宗教的な要素についても触れていた。「今日、古のアナトリアをトルコと呼んで暮らすトルコの人々は知るべきである。クルド人との1000年近いイスラムの旗のもとでの共同の生活は、兄弟愛と連帯の法にもとづいていたということを」と述べていた。オジャランは、2013年の書簡で3人の偉大な宗教的預言者の名を1つずつ上げた。今回の書簡では、宗教的要素を入れず、逆に「イスラム」の名のもと行動することを主張しているISに強い表現で言及し、ISを「帝国主義の力が引き起こした暴力」と呼んだ。
■どちらの書簡も地理的にトルコに留まらず、中東を指す
オジャランは、2013年付の書簡で、対象をトルコ領土に限定していなかった。今回の書簡でも同様だった。想定している政治システムが構築される土地を中東全土とした。
■反帝国主義の声明
オジャランは、2013年の書簡でも、今日読まれた書簡でも、反帝国主義の声明に重きをおいた。2013年の書簡で「西洋の近代文明価値をすべて否定しているのではない。そこにある啓蒙、平等、自由、民主的価値を受け取って、自分たちの存在の価値や世界的な生活様式と統合させ、命を吹き込むのだ」と述べ、今回の書簡ではISについて西洋にその責を課した。
■「民主的モダニズム」の代わりに「民主的な共同の家」
オジャランは、2013年から現在まで想定している統治の理解の概形は変えなかった。しかし今回の書簡では名前を変えた。オジャランは2013年の書簡で「民主的モダニズム」に言及し、国民国家の理解を批判していた。2013年では、国民国家の理解を「民族的かつ単一民族の地を形成することは、我々の本質や特性を否定するモダニストが目指した非人間的な産物であった」と批判し、新たな国家体制を提案し、「民主的モダニズムシステム」と名づけた。今回の書簡では、「民主的な共同の家」という言葉を選んだ。オジャランは今回の書簡でも国民国家を批判し、それを破壊して新たなシステムを構築する必要があると述べ、この新たなシステムについて次のように述べた。「私は、国民国家自体の中に新たな種類の民主的な政治と民主的な共同体を実現させることと、国民国家間で中東の民主的な共同の家を構築することを呼びかけている。」
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:37162 )