悲喜こもごも―AKP候補者リストにもれた人々
2015年04月08日付 Hurriyet 紙

公正発展党(AKP)の候補者候補らの間には多数の新聞記者もいた。公正発展党から立候補するために辞職した7人の学長のうち6人がリストからもれた。この人々が学長職に再び戻ることはできないだろう。

しかし、この新聞記者らのうちリストに載ったのは少数にとどまった。公正発展党から候補者となった新聞記者らの間でカバタシュ襲撃事件をソーシャルメディアから最初に伝えた人も、アナトリア通信社(AA)の元総局長も、公正発展党の設立者の一人である新聞記者もリストからもれた。

さて、以下がその名前だ。

■ハリメ・キョクチェ氏、カバタシュ襲撃事件を初めて彼女が書いた、リストからもれた

公正発展党の新聞記者の指名候補者候補らの間で最も注目を集めた人たちのうちの一人はハリメ・キョクチェ氏であった。キョクチェ氏はカバタシュ襲撃事件をソーシャルメディアで初めて伝えた人として名を広めた。キョクチェ氏のカバタシュ襲撃事件に関するツイートの後、この問題は話題となった。キョクチェ氏のツイートの後、襲撃に遭ったことを主張した女性とのインタビューが初めて行われた。襲撃の様子をとらえた映像があると主張された。しかし、警察のあらゆる捜査にも関わらず、カバタシュでそのような襲撃の様子が映った映像は全く出てこなかった。

■アナトリア通信社の元社長、ケマル・オズチュルク氏もリストにからもれた

ケマル・オズチュルク氏も公正発展党の候補者候補となった新聞記者のひとりだった。しかしリストに載れなかった。オズチュルク氏の名前は初めビュレント・アルンチ副首相がトルコ大国民議会(TBMM)議長の時代に彼のメディア・アドバイザーとして広まった。オズチュルク氏はこの仕事の後、一時期首相府でレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の報道顧問を務めた。

短期間の首相府報道顧問を辞職した後もアナトリア通信社の社長に就任した。社長時代に政府寄りの出版物を理由に批判された。また、アナトリア通信社の株の一部に関する疑惑で最もその名が取り沙汰された。

■公正発展党の設立者、アイシェ・ボフルレル氏もリストからもれた

公正発展党から国会議員に立候補するため申請した他の人はというと、党の設立者のひとりアイシェ・ボフルレル氏だ。公正発展党の中央決定運営委員会(MKYK)の委員をしていたボフルレル氏は「スカーフを被っているため最初の3期に議員にならなかった」と言われていた。

トルコ大国民議会におけるスカーフ禁止の撤廃後に行われるこの最初の選挙に立候補したボフルレル氏はリストからもれた。ボフルレル氏の名前は公正発展党の中央決定運営委員会委員の時代に(自身の会社が)製作した番組の高額な著作権使用料をトルコ・ラジオ・テレビ協会(TRT)から受け取っていたことで話題となった。

■7人の学長、立候補のために辞任、6人がリストからもれる...

6月7日の総選挙で国会議員になりたいという要求は、大学の学長の間でも高かった。公正発展党から候補者になることができるよう7人の学長が辞任した。しかし、たった一人しかリストに載らなかった。
公正発展党から候補者になるため学長職から辞任した人たちは以下の通りだ。
イスタンブル大学学長、ユヌス・ソイレット教授―リストからもれる
トルコ航空協会大学学長、ウンサル・バン教授―リストからもれる
ムシュ・アルパルスラン大学学長、ニハット・イナンチ教授―リストからもれる
ハラン大学学長、イブラヒム。ハリル・ムットゥル教授―リストからもれる
シュルナク大学学長、アリ・アクマズ教授―リストからもれる 
カラビュク大学学長、ブルハネッティン・ウイサル教授―リストからもれる

■リストに載った人:ガラタサライ大学学長

候補者になるため辞任したガラタサライ大学学長のエトヘム・トルガ教授は公正発展党のリストにただ一人載ることができた。トルガ教授は公正発展党イスタンブル第2地区第6位候補に選ばれた。

■辞職した学長ら、学長職には戻れない

候補者になるため辞職した学長らは大学に戻ることができる。しかし、辞めた学長の職には自動的に戻れなくなる。実際トルコ航空協会大学を除いて、候補者になるために辞職した学長の後任が任命された。

■2人の有力な官僚も公正発展党の候補者リストからもれた

公正発展党の国会議員候補者リストからもれた2人の名前が注目を集めた。ヤディガル・ギョカルプ氏とスレイマン・カラマン氏だ。官僚の最高位の女性高官のひとりであり、社会保障機構長官を国会議員になるために辞職したヤディガル・ギョカルプ氏はリストからもれた。元交通大臣でエルドアン大統領の首席顧問でもあるビナリ・ユルドゥルム氏と長い年月共に働いた、幼馴染みのトルコ共和国国営鉄道(国鉄)総局長、スレイマン・カラマン氏は6月7日の選挙で公正発展党から国会議員になるため辞職した人たちの中の一人だった。エルジジャンからの立候補が確実視されていたスレイマン・カラマン氏はリストからもれた人たちのうちの一人となった。

カラマン氏はエルドアン大統領のイスタンブル広域市長時代の1994年にイスタンブル市営交通局(IETT)の副総局長を務めた。その後公正発展党が政権を握った2002年、国鉄の総局長になった。カラマン氏が総局長の時代に2つの大きな列車事故が起こった。サカルヤ県のパムコヴァで2004年7月に起こった高速列車の事故で41名が亡くなった。2008年にキュタヒヤで起こった列車事故はというと9名が亡くなり、37名が負傷した。

ヤディガル・ギョカルプ氏とスレイマン・カラマン氏が復職するのかどうかが注目されている。

■伯父は残った、しかし甥は入れなかった

政界に入るために官僚の地位から去ろうとした他の重要な名前には、現在公正発展党アンカラ県選出国会議員でトルコ大国民議会法務委員会会長のアフメト・イイマヤ氏の甥、オスマン・イイマヤ氏がいた。オスマン・イイマヤ氏は政界に入るために環境都市整備省の自然遺産保護総局長を辞職した。しかし、「親戚」であったためオスマン・イイマヤ氏はリストからもれた。一方で伯父のアフメト・イイマヤ氏はアンカラ第2地区第2位候補となった。

公正発展党から議員になるためトルコ公衆衛生協会の会長を辞職したセチル・オズカン教授もリストからもれた人たちのうちの一人となった。

■官僚から大臣へ? 

ナジ・アーバル氏は、公正発展党政権の最も重要な経済官僚のひとりであり、財務省事務次官を議員になるため辞職した。そしてバイブルトの第1位候補に選ばれた。今からアーバル氏が公正発展党政権下で経済関係の大臣に任命されるのではないかと言われている。

■証券取引所会長から議会へ

中央銀行副長官からイスタンブル証券取引所会長に任命されたイブラヒム・トゥルハン氏は選挙のため辞職した官僚らのうちの一人だった。公正発展党イズミル第2区第1位候補者であるトゥルハン氏は公正発展党政権で入閣することが確実視されている。

■関税事務次官、コンヤから選出

関税通商省事務次官を議員になるため辞職したゼィヤ・アルトゥンヤルドゥズ氏は公正発展党コンヤ第4位候補者に選出された。アルトゥンヤルドゥズ氏が議員となるのは確実だ。

■エルハン・ウスタ氏、民族主義者行動党(MHP)の議員になる

エルハン・ウスタ氏は公正発展党政権期の国家計画庁(DPT)や開発省の高級官僚であり、アリ・ババジャン副首相の側近だった。そして副事務次官を議員になるため辞職した。民族主義者行動党から誘いを受けたウスタ氏はサムスンの第1位候補者に選出された。

■ドゥルムシュ・ユルマズ氏、ウシャクから

世界の最も良い中央銀行の長官のひとりとされ、ギュル大統領の顧問を務め、最近エルドアン大統領と「高金利」についての議論を交わした中央銀行の元長官であるドゥルムシュ・ユルマズ氏の政治のための選択は民族主義者行動党となった。ドゥルムシュ・ユルマズ氏は故郷ウシャクで政界に入るか入らないか、どの党から出馬すべきかというアンケートを行わせ、アンカラ県選出議員になることを望んでいたが、ウシャク県の第1位候補に選ばれた。

■500人の官僚が辞職

6月7日の選挙のため全体で500人の官僚が辞職したと推定される一方で、失望を味わった人も沢山いた。彼らの中で元交通大臣のビナリ・ユルドゥルム氏の時代に事務次官だったハビブ・ソルック氏、国家水道総長のアキフ・オズカルドゥ氏、民営化庁副長官のハリル・イブラヒム・クルシャン氏は候補者リストに載らなかった人たちとして注目を浴びた。

首相府服副事務次官、国民教育省事務局事務次官、社会保障機構長の任務に就き、一時期首相府の顧問も務めたエミン・ザラルスズ氏はというと公正発展党アンカラ第1地区第9位候補としてリストに載った。ザラルスズ氏のリストにおける順位では当選が「難しい」と考えられている。

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( 翻訳者:満生紗希子 )
( 記事ID:37271 )