オジャラン一家で対立―オジャラン弟、姪の出馬に反発
2015年04月11日付 Cumhuriyet 紙
アブドゥッラー・オジャランの弟メフメト・オジャランは、HDP(人民の民主主義党)が姪にあたるディレキ・オジャランをシャンルウルファ県の候補に立てたことに対し、反発を示した。(メフメト・)オジャランは、「ディレキ・オジャランが候補者となることには反対です。ディレキはまず身を粉にして働き、その後にそれ相応の地位に就くべきです。私の兄はこのようなことは望んでいなかったし、今も望まないでしょう」と話した。
PKKの指導者アブドゥッラー・オジャランの弟メフメト・オジャランは、HDPが自身の姪にあたるディレキ・オジャランをシャンルウルファ県の第2位候補としたことに対し、反発を示した。メフメト・オジャランは、姪が国会議員の候補者となったことを畑での作業中に知り、ショックを受けたと述べ、「ディレキはまず身を粉にして働き、その後にそれ相応の地位に就くべきです」と話した。
6か月の間、イムラル刑務所にいる兄アブドゥッラー・オジャランと面会できていないと述べたメフメト・オジャランは、「(候補者の)リストが整えられる前にイムラル島へ行った時、兄は私に『選挙では、それが誰であれ、お前たちを代表する人物を選びなさい。民主主義と自由を前進させる人々を選びなさい』と忠告しました」と話した。メフメト・オジャランは、姪のディレキ・オジャランがHDPの国会議員候補となることはアブドゥッラー・オジャランの希望したことではないと主張し、「HDPとDTK(民主社会会議)がディレキ・オジャランを候補者にしました。アブドゥッラー・オジャランは民主的な政治闘争をしており、誰も必要としていません」と述べた。
メフメト・オジャランは、姪が候補者となったことを作業していた畑で知ったと説明し、「候補の知らせはありませんでした。この状況を我々から隠していたのは正しいことではありません。ディレキはまず身を粉にして働き、その後にそれ相応の地位に就くべきです」と話した。
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( 翻訳者:粕川葵 )
( 記事ID:37288 )