イラン人男性、「アーモンド・アイ」の妻との離婚を申請(2)
2015年05月06日付 Jam-e Jam 紙
「どうして離婚を申請するのですか」。判事のこの質問によって、とりとめのない物思いに沈んでいた彼は我に返った。彼は暮らしのなかで起きた出来事を説明するなかで、次のように述べた。
私とモニカは当初、とても良好な生活を送っていました。私たちの暮らしには何の問題もありませんでした。私たちは互いに愛し合っていたからです。しかし少しずつ、この愛の炎も燃え尽きていきました。二人の子供ができたにもかかわらず、私は冷え切った家庭に足を踏み入れたいとは思わなくなりました。そこにはウキウキ・ドキドキするようなものがなにもありませんでした。二人の子供も私には似ておらず、顔も性格も特徴も、どれも母親似でした。
彼は続けた。
私は朝から晩まで〔経営する〕店のなかにいました。家に帰ったとき、モニカが私のために食事を作ってくれること、他のイラン人女性のように、夫の帰りを待ちわびていてくれるのを、私は望んでいました。ところが、彼女と子供たちは先に食事を済ませており、家で寝ているかテレビを見ているかでした。私は一人食事を温め、黙って夕食を食べねばなりませんでした。
母の生前、私はよく実家に帰っていました。それはイラン食が恋しかったからです。モニカはイラン食も作れませんでした。そして母が亡くなって二年が経った今、私は鬱状態に陥ってしまいました。母の話に耳を傾けなかったことを、非常に後悔しています。母の言葉は正しかった。私とモニカには、大きな文化的違いがあるのです。
彼はさらに、次のようにつづけた。
3か月ほど前、私たちは大きなケンカをしました。私たちの口論は、子供の教育をめぐってでした。というのも、彼女は二人の子供が、彼女自身の文化とともに育つのを望んでいるからです。また私はたいてい家にはいないので、子供たちも母親の言うことにばかり、聞く耳を持ってしまっているのです。
つづく
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( 翻訳者:未 )
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