ダーマード・イブラヒム・パシャの「子孫」、権利要求訴訟
2015年05月22日付 Hurriyet 紙
オスマン帝国の大宰相、ネヴシェヒルリ・ダーマード・イブラヒム・パシャの九、十代目の子孫であると主張する六人が、ワクフ総局から取り分を得るため訴訟を起こした。
ワクフの継承者であるとの承認を求める六人は、訴訟の関係書類にダーマード・イブラヒム・パシャの家系図が写っている写真を証拠として添付した。裁判所が大宰相の一族であると認めれば、六人の原告はワクフ収入から一定の割合を得る権利を持つことになる。
■9代目と10代目の子孫
イスタンブル初等民事裁判所に訴訟を起こしたアフメト・エルタン・シュメル、ルファト・エルシン・シュメル、バルバロス・ギョズ、エヴシャン・ウルガ・オズ ケン、アダ・オズケン、デミル・オズケンの6人は、ダーマード・イブラヒム・パシャの息子であるゲンチ・メフメト・パシャの孫であるヒュセイン・ヒルミの娘ゼフラの家系で、九代目と十代目の子孫にあたると主張している。
■過去に9人をワクフが承認
一方で、五年前イスタンブル第8初等民事裁判所で開かれた裁判でもザリフェ・ギョズ、ネジラ・シュメル、シュヘイラ・テュメルら9人が、ワクフの継承者であるとの承認を求める訴えを起こしている。二年間の係争の後、裁判所は9人がイブラヒム・パシャの8、9代目の子孫であると認めた。ワクフ総局に属するイスタンブル地域ワクフ総局の反論も却下された。
■アフメト3世に気に入られた知性
家系図の写真の下にある「ダーマード・イブラヒム・パシャ」と題した記録によると、イブラヒム・パシャは1668年に生まれ、20歳の時に同郷者を訪ねてイスタンブルを訪れたとする。その優れた知性と努力でスルタン・アフメト3世に気に入られ、娘のファトマと結婚。後に帝国の宰相となった。
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( 翻訳者:川原田嘉子 )
( 記事ID:37577 )