トルコは、法と民主主義に配慮しない公正発展党に罰を下した。6月7日の総選挙の敗北したのは、明らかに公正発展党であった。政権与党以外で得票数を落とした政党はなかった。人民の民主主義党は初めて得票率制限を突破し、民族主義者行動党も目に見える躍進を遂げた。共和人民党も2011年得票率を保った。公正発展党はというと、前回の49.9%から40.6%に後退した。2011年と比べると10%、昨年3月30日の地方選挙と比べて も1.5%落ちた。
トルコは、6月7日の選挙で新たな時代に入った。国民は、公正発展党の強権的な政策を信用しなくなった。13年間の単独政権も終わりを告げた。トルコ大国民議会は、4つの政党から構成された。議会において、今日まで無所属で選ばれていた人民の民主主義党は、党としては初めて得票率制限を突破した。公正発展党はというと、国政選挙で初めて多くの票を失った。2011年の選挙での49.9%だった得票率は、40%にまで後退した。特に、強い地盤のあった南東部の県で大きく議席を失った。ディヤルバクル県では、11議席から1議席へ減った。エーゲ・地中海地方でも後退した与党は、ほとんどすべての県で票を失った。トルコの有権者数は約400万人増加したのに対して、公正発展党の得票数は、2011年総選挙に比べると2140万票から1800万票に後退した。
選挙の結果は、国民が権威化、1100もの部屋を持つ大統領府、浪費、不正、法の無視と国民向けの意識操作作戦に対しての反感を明らかにした。[2013年]12月17日過程において明らかになった不正は、重要な役割を演じた。公平性を脇にやり、憲法を踏みにじって、公正発展党のためにキャンペーンを行った大統領のタイイプ・エルド アンの大統領制の夢も過去のものとなった。公正発展党の選挙での敗北によって、連立の時代が始まった。
選挙の結果、議会の数の力学も大規模に変わった。公正発展党の議席数は327議席から257議席へと後退し、138議席であった共和人民党は、 132議席となった。民族主義者行動党は、議席数を50から82へと伸ばし、36議席から80議席にまで達した人民の民主主義党はというと、議席数を最も増やした党となった。
選挙で共和人民党が25.1%の得票率で現状を維持した一方、民族主義者行動党は大幅な増加を記録した。2011年の選挙で13%の得票率であった民族主義者行動党は、得票率を16.5%にまで伸ばした。この結果、公正発展党だけが票を失った。首相アフメト・ダウトオールは、初めての選挙で失敗した。
■人民の民主主義党はバランスを変えた
選挙で最も重要な結果を得た党の一つである人民の民主主義党は、得票率制限を突破した。東部と南東部での記録的な得票とともに西部からも得票を得た。共和人民党から流れた票によってこの党は得票率制限を突破した。強権的な政策にそっぽをむいた有権者たちは、公正発展党にそれを示すために投票に向かった。公正発展党を与党から引きずりおろすために、人民の民主主義党へと向かった有権者たちは、この党の票を50%近く上昇させた。ハッキャーリ県では86%、ディヤルバクル県では80%の票を得た。 2011年の選挙で無所属で出馬して6.5%の得票率だった人民の民主主義党は、今回の得票率は13%にのぼった。
■トルコは選挙をうまくおこなった
昨日、投票を行ったトルコで5600万人の有権者の大部分が選挙に大きな関心を示した。投票率は85%だった。国外からの投票はそれよりは落ちた。国外の286万6979人の有権者のうち103万4917人が投票した。強権的な環境下の選挙で与党は、不正選挙を行うとの疑念が高い。与党のあらゆる操作にも拘らず理性が勝利した。選挙は、小さな議論や緊張あったが、無事に終わった。トルコは選挙をうまくおこなった。選挙の結果によると、56の県で公正発展党が第一党となったが、10県で共和人民党、1県で民族主義者行動党、14県で人民の民主主義党が第一党となった。政権の力の及ばない中立なアンケート会社の予想がほぼ当たった。
■選出されなかった著名人
公正発展党の現アンカラ選出の国会議員ファティフ・シャーヒン、イスタンブルの新聞記者マフムト・オブル、現シャルウルファ選出議員ゼイネップ・カラハン・ ウスル、イズミルの候補者オザン・ジェイフン、被害者の会前会長ユルマズ・エンサロール、アンカラの候補者の新聞記者ヌリ・エリボルは選出されなかった。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:37749 )