息子を失った母親が本紙に激白「心が震え、刑執行目前で殺人犯を赦しました」(4)
2015年06月02日付 Jam-e Jam 紙
私は落ち着きませんでした。すると、見知らぬ男性が上の息子の携帯電話に電話をかけてきました。アリーは怪我をして、病院に搬送されたというのです。気が動転した私は、他の息子たちと病院に行きました。しかし、時すでに遅しでした。アリーは出血多量で亡くなっていたのです。誰が息子の命を奪ったのか、見当も付きませんでした。刑事警察で事件について警察官の人たちに尋ねて、初めて分かりました、息子の親友であるレザーが息子をナイフで刺し殺したことを。私は刑事警察や裁判所で彼と何度か対面しましたが、彼は自分の行ったことについては何も語らず、沈黙を貫いていました。
殺害犯は殺害の動機を一度も語らず、〔被害者の母〕マアスーメと今は亡き彼女の夫は、裁判の場で殺害犯に対し、キサース刑(同害報復刑)を要求した。殺人の被害者の母親は、次のように続ける。
私たちはこの判決が執行されるのを、強く求めていました。2年前夫は亡くなり、その後も私はしばらくの間、病を得てしまい、この件をフォローすることができなくなりました。昨年のバフマン月〔※西暦2015年1/2月〕、殺害犯に対する刑の執行に向けて、すべてが整いました。しかし彼の家族は司法関係者らに対し、私と話し合いをさせてほしい、私から〔キサース刑免除の〕同意を取り付ける機会を与えてほしいと求めました。私たちはその機会を彼らに与えましたが、その間も私は子供を殺した犯人を赦す気にはなれませんでした。
この間も、アリーの母親から同意を取り付けるための努力が続けられたが、彼女は赦す気にはなれなかった。彼女の唯一の望み、それはキサースだったのだ。この中年女性は次のように言う。
殺害犯の家族が私や私の家族と対面することはあまりありませんでした。レザー(殺害事件の被告)の一部の親戚や家族の人、そして市の責任者たちが私から〔キサース刑免除の〕同意を取り付けようと、何度か自宅を訪れました。彼らはそこで、同意のために賠償金(ディーヤ)として私たちにお金を支払うと提案してきましたが、しかし私はこの話を聞いて不愉快になり、〔裁判でキサース〕刑の執行を求めた〔以前の〕決断にこだわるようになりました。
死刑執行の前日、2人の息子と親戚1人と一緒に、〔刑執行場所である刑務所のある〕サナンダジの街に行きました。その夜、私は礼拝を行い、コーランを朗唱してから、刑の執行について思いをめぐらせました。というのも、私は刑の執行に依然として強いこだわりがあったからです。息子たちは私に、もし可能なら赦してあげよう、そうすればアリーの魂も喜ぶだろうとお願いしてきましたが、私はただ沈黙を守りました。そして私は、自分が最善の決断を下すことができるよう、神に助力を祈りました。
死刑が行われる日の夜明け、私たちを乗せた車がサナンダジ刑務所の前に停まりました。その時、殺害犯の母親や姉妹たち、その他親戚数名が私たちに近づいてきました。彼らはレザーを赦してくれるよう、嘆願してきました。彼らの懇願する姿を見て、私は不快感に襲われ、これ以上私のような母親が子供を失って悲しみに打ちひしがれることに、私は満足できなくなりました。
つづく
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( 翻訳者:YR )
( 記事ID:37853 )