「酸かけ事件」。この語を聞くと、人はある思い、いや、むしろ「恐怖」に駆られる。人に酸をかける行為は、人間として行いうる行動の中でも最も野蛮な行為である。すなわち、それはある人の未来の破滅をもたらすのだ。殺人よりも悪質だという人たちもいる。
この単語の意味を理解するためには、酸かけ攻撃に巻き込まれてしまった人の立場に、自らをしばしの間、置くだけで十分だ。最初の数日は、顔や体がズキズキと痛む。しかし、鏡で自身の姿を見た後は(もちろん、視力が残っていればの話だが)、毎日心が焼けただれるように苦しめられる。失われた顔や美のことを、四六時中嘆くことになるのだ。自信が失われ、人生が何よりも悪いことのように思えてくる。〔新たな〕時間と空間の出現を望むが、しかし心は過去へと回帰しようとする。
たとえ何の被害にも遭わなくとも、やはり酸による攻撃への恐怖は体の中に残り続け、通りを歩く普通の人にすら、疑念を抱いてしまう。
この犯罪行為の心理的原因と、それが被害者の人生にもたらす負の影響について、心理学者のマフムード・ボルジアリー氏に聞いた。内容は以下のとおり。
---- なぜ復讐やその他さまざまなことを理由にして、酸かけ行為に手を染める人がいるのでしょうか。
他者に対して抱く嫌悪の念が極めて高いことが原因で、自分の内面にある不満を解放するために、このような行為に手を染める人たちがいる。この嫌悪の感情には、約束違反や仲違いといった、さまざまな原因がある。酸かけ行為に走る人たちは怒りっぽい人たちで、自分の怒りの感情を吐き出すために、考えられる最悪かつ最も野蛮な行為を選択する。
酸かけ行為は、感情の発散方法としては最悪の方法の一つであり、こうした行為が社会に存在することは、その社会が暴力的であることの例証である。人に酸をかけたり、火を付けたりといった類の行為がよく見られる社会とは、間違いなく暴力的な社会なのであり、こうした状況の穏健化に向けて努力することが必要である。
つづく
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( 翻訳者:AWN )
( 記事ID:38737 )