パレスチナ:学生、労働者、難民キャンプの人々が民衆蜂起に参加
2015年10月12日付 al-Hayat 紙
イスラエル占領に対抗しての衝突の一場面
■学生、労働者、難民キャンプの人々が民衆の蜂起をかき立てる
【アブー・ディース(西岸地区):ムハンマド・ユーニス】
エルサレム大学の学生らは強い誇りを感じている。なぜなら、民衆蜂起の最初の殉教者であるムハンナド・ハラビー氏(19歳)が同大学の学生だったからだ。彼らの多くは、ハラビー氏に代わって彼と同様のことをしたいという願望を隠さない。
法学部の学生だったハラビー氏は、入植者2人を刺殺、3人を負傷させた。彼の死の翌日、何百人もの大学生が街路に出て軍隊と衝突した。ここから、1週間以上続く民衆の蜂起が始まったのである。
間もなくして、ジャラズーン、カランディヤー、ウルーブ等の難民キャンプの人々、特に大学生や学校の生徒、さらに労働者や失業者が蜂起に加わった。その後、特にビルゼイト大学の学生が加わった。同大学の学生は、毎日バスに乗ってビーラ市とラーマッラー市の入口にある、DCOと呼ばれる有名な軍事検問所地区を通る。そこでは兵士との広範囲におよぶ衝突が続いており、最新の西洋の衣服を身に着けていることで有名な同大学の女子学生もこの衝突に参加している。
進行中の民衆蜂起にふけっているパレスチナ人の新しい世代は、政治的解決の方法に絶望を感じ、また権力を持った政治家層に激しい苛立ちを覚えている。それ故、あらゆる沈静化への呼びかけを無視し、自らの手で手綱を握ることに急いでいるのである。
エルサレム大学の学生の1人は次のように語った。「これこそが、イスラエル人に応じる唯一の方法だ。これこそが、パレスチナを解放する唯一の方法だ」。ハラビー氏と親しかった同学生はさらに以下のように付言した。「イスラエル人は土地を奪った。今では聖地までも奪っている。我々に何が残されているだろう?政府は25年前から交渉をしているが成果は上がっていない」。
(後略)
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( 翻訳者:栗原利枝 )
( 記事ID:38896 )