ジュムフーリイェト紙がイタリア当局とその情報源から確認させたところの情報によると、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の息子のビラル・エルドアン氏が、イタリアのボローニャに定住した。エルドアンがジョンズ・ホプキンス大学のボローニャキャンパスでかつて始め、今は凍結している博士課程を新たに始めたことが分かった。
タイイプ・エルドアン大統領の息子ビラル・エルドアン氏が、トルコから離れ、家族でイタリアのボローニャ周辺に定住したことが分かった。
ジュムフーリイェト紙のイルハン・タヌルとオブギュ・プナルの情報によれば、ビラル・エルドアン氏は国内で最も優れた教育機構のうちの1つジョンズ・ホプキンス大学のボローニャ・キャンパスで過去数年のうちに始まったが行われていなかった博士課程に先月新たに復帰した。
これに関する情報の提供者は、エルドアン氏が出願を6月7日の選挙後に行ったことを述べた。情報提供者によると、ビラル・エルドアン氏の妻もボローニャに引っ越した。また。この夫婦の子供たちも学校の登録手続きをされた。ビラル・エルドアン氏がイタリア政府に求めていた護衛も共に住むことがわかった。
ビラル・エルドアンは、ジョンズ・ホプキンス大学の国際関係学部であるSAISのボローニャキャンパスで博士課程をもともと2007年に始めた。エルドアンの昔の級友のうちの一人がいうところによると、ビラ-ル・エルドアンは博士課程の前に「ヨーロッパのムスリムたち」という話題で始めたが、のちに「経済成長における地域格差の重要性」に変更した。しかしエルドアンはその論文を完成させないままトルコに戻ってしまった。
■博士課程を再開
それ以来、船を買ったことや、TURGEVの活動、12月17日から25日の事件などにおいてその名が話題となっていたエルドアン氏は、今再び博士の研究を始めた。エルドアン氏は以前の登録期間に博士課程のクラスは終えているので、今回は論文だけである。すなわち、ここ数年は学校へは全く行かずに論文に関する研究をするチャンスを持っている。この問題の専門家は博士課程が約4~5年かかることを述べ、エルドアンが少なくとも数年イタリアからの在住許可を持っているに違いないだろうと述べた。SAISのボローニャキャンパスの学務部長であるバルネデッテ・オ・トーレ氏は、ジュムフーリイェト紙のこの件に関する質問に学生たちの情報は与えられないと言って、返答した。
■住所はボローニャ、滞在先はモデナ
オヴギュ・プナルがこの話題に関して述べた詳細は以下の通りだ。私たちはビラル・エルドアンがイタリアに移住したという情報を得たが、そのエルドアンの足跡の調査を彼が博士課程を学んでいると知られるジョンズ・ホプキンス大学がヨーロッパキャンパスのあるボローニャから始める。私たちの最初の目的地は、正式な情報を得ることのできるボローニャ市だった。町で居住登録をしている人たちは個人情報が示されるときは確認されることになっている。「居住証明書」を渡す権限を持つボローニャ市住民課で私たちが行った調査で、ビラル・エルドアンの公式な滞在許可がボローニャにはないということが分かった。この町にいたこと、あるいは現在住んでいることがわかる唯一の情報は市役所に支払った税金の記録であった。しかしこの支払いが何の税なのか、いつなされたのかという情報には到達できない。
この情報を得た後、私たちの目的地は自治体(ボローニャ市)が集めたごみ税と不動産税のような税金の責任を負うボローニャ税務署だった。税務署では、特に個人の私的生活の守秘という原則に基づき、委任状なしに税の情報は共有されえないという返答だった。しかしボローニャの地方自治の役所で行った調査の最後にその情報にたどり着いた。
ビラル・エルドアンはイタリア当局に1981年4月23日生まれで、「ビラル・ネジメッディン・エルドアン」という名前で登録されている。ボローニャの家の住所はというと、町のシンボルである「2つの塔」のそばのビア・ルッツォである。しかし、滞在住所としてはボローニャまで電車で30分の距離にあるモデナのカンポガリアノ市が知られている。ビア・ルッツォの住宅には、エルドアンが現在ここで生活していることを示すようないかなる証拠も見当たらない。次に訪ねる場所は、ビラル・エルドアンが博士課程を学んでいるジョンズ・ホプキンス大学のボローニャキャンパスである。ここでは、エルドアンが博士課程を学んでいるヨーロッパ・ユーラシア研究学科の学科長教授であるエリック・ジョーンズ氏と会う。ジョーンズ教授は、ビラル・エルドアンに関する私たちの質問に直接答えることを避けていて、勤務先の機関の決まりに基づいていかなる生徒の情報についてもコメントができないと言っている。しかし、「あなたが彼の博士論文の指導教官と書きますが、それであっていますか」という私の質問に次のような回答をした。「ビラル自身はSAISの博士コースに到達しており、主任指導とヨーロッパ・ユーラシア研究コースを行っている。課程の構造上の仕組みのゆえに初めて彼が登録したときは、指導はプログラム長が行ってきた。つまり、初めて登録したときに彼の指導者であったのはダビド・P・カレオであった。今はというと、課程の責任者が私に変わり、そのために主任教授も私になった。なぜなら、指導者という役職はこの形で決まっているからだ。」
エルドアンが、武器を携帯した警備員を連れてイタリアに行くという情報を強調して、大学にこのように来ないことを私たちは尋ねなかったが、一人の生徒に関して話さなかったこと、しかし学校に武器で護衛する任務の者が見つかったことを話した。たとえば、2002年の3月にジョンズ・ホプキンス大学で働くマルコ・ビアギが暗殺されたということを指摘し、イタリア大統領マテオ・レンツィの経済アドバイザーのフィリッポ・タデイが学校に二人のガードマンと一緒に来ていることも話している。このような脅威をとても真剣に受け止めており、そのため、生徒たちに関するセキュリティの話題に関してはコメントできないと言っている。
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( 翻訳者:榎本恵実 )
( 記事ID:38945 )