エジプト:パリの惨事を受けたエジプト人の不安
2015年11月21日付 al-Hayat 紙
(AP)
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■エジプト人が危機を募らせる「シェンゲン」ビザと出稼ぎ労働

【カイロ:アミーナ・ハイリー】

1ヶ月以上前から準備された議会は静かなものだ。数週間前にサポーターが準備した試合は盛り上がらなかった。閣僚の怠慢や県知事の対応の遅さ、また役人の無能さについての傷つけ合いも沈静化した。物価急騰への不満や市民の扇動、怒りを抱えた人々への戦いの呼びかけすらなくなった。解決の理論や娯楽への志向、また変化への期待がエジプトの人々を覆っている。しかしそれらは全て、心配の塊と不安の集まりによるものである。

ベイルート、シナイに続いて起こったパリの惨事の直後、世界各地に悲しみが広がった。その惨事の前後にも最中にも、惨事は日常的な、見慣れたものにになった。その影響は、確かなものとなってエジプト人の表情に表れている。富裕層の間では、西暦の新年を光の都(パリ)で過ごすために「シェンゲン(Schengen)」ビザが用意されていたが、光は消え、「シェンゲン」は失われた。

シャルムッシェイクの労働者セクターは、安定的継続と来たるべき回復に希みをかけていた。しかし安定は崩れ、回復は揺らぎ、人々は水道の蛇口を調整し、下水網が破裂してしまった配管工のような状況である。エジプト人たちは恐れと不安からなる昼の中を歩き回り、実際それはやってきて、他方では恐れが混ざった疑念からなる夜を歩き回っている。

テロ行為によってシナイ半島の真ん中にロシアの航空機が墜落したことによるエジプト人の不安は、確信の道を進んでいる。あらゆる階級や種類の民衆を支配した唯一の話題は、戦うべきテロと実際の破壊についてである。パリでの出来事の後、破滅の角度は国際的になり、破滅の側面が世界的になったことは真実である。しかしながら、地元の視点と国家の理解はその先に飛ぶ。

(後略)

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( 翻訳者:柴田まり菜 )
( 記事ID:39207 )