シリア:クルド人にとってのシリア戦争
2016年01月08日付 al-Hayat 紙
PKK戦闘員(Reuters)
PKK戦闘員(Reuters)

■クルド人をアラブとトルコの戦争に巻き込むPKK

【フーシャング・アウスィー】

クルディスタン労働者党(PKK)が、そのシリアにおける分派であるクルド民主統一党(PYD)を通じて主張してきたシリア問題への干渉の口実は、「シリアのクルド人と彼らの町を、シリアで吹き荒れる内戦や暴力の連鎖から遠ざけ、カーミシュリーやクーバーニー(アイン・アラブ)、アフリーン(訳注:シリア・クルドの街)が、ヒムスやダルアー、イドリブのような状況に陥ることを阻止する」というものであった。

シリアでの騒乱から2、3年が経って革命が内戦へと転じた時点で、おそらく、PKKのそのような立場は、いくらか受け入れられ、合理的だと考えられた。シリア革命が平和的段階にあり、戦争状態に陥らず、タクフィール主義的組織によるテロがまだ介入していなかった時代なら、少なくとも、PKKのそのような主張は、党派主義的で実利主義的、悪徳と虚偽に深く根差し、平和や非暴力のガウンを身にまとって外国の干渉を拒否しているなどと言われただろう。

しかし、シリアにおける騒乱と展開は、PKKの主張する立場や言説が偽りであることを明らかにした。周知の通りPKKは、30年間ずっと、シリアのクルド人の町をトルコとの戦争に駆り立ててきた。それらの町を人材貯蔵庫として、そして戦闘員や資金を供給する後方戦線として利用しながら。この戦争で死亡した、そして今も死亡しつつあるシリア・クルドの犠牲者数を特定するのは不可能である。しかし、少なくとも1万のシリア・クルドの戦闘員男女がトルコで死亡し、負傷者はその倍にのぼると推測される。ここにはもちろん、PKKによる対トルコ闘争の中で死亡した、イラク、イラン、トルコ、旧ソ連、そして欧州への亡命クルド人の数は含まれていない。


(後略)

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( 翻訳者:長野愛 )
( 記事ID:39579 )