シリアから避難してきた人々
■シリア人はこのように戦争での自分の写真を見る
【カイス・カースィム】
ギリシャのレスボス島海岸で、アイルランド人写真家のイヴォール・ブリケットのレンズは遠くのゴム製ボートを捉えた。水の中央は波立ち、甲板にはシリア難民と思われる多くの人がいる。彼らは陸に向かう途中だった。ブリケット氏の隣には「メディアと戦争」という番組を取材中の2人の同僚記者がいた。
記者らは人道的観点から、溺れた人と陸に打ち上げられた死体の写真を報道する妥当性がいか程かについて話し始めた!1人は、その残酷さにもかかわらずアイラーン・クルディー君の写真が生んだ効果を引き合いに出し、長い間多くの人(難民)が無視され苦しんできたことを経て、西欧が辿り着いた難民の状況に関して議論の向きを変えたことを訴えた。一方もう1人は、「家(遺)族に傷つけ苦しませることは報道倫理に反する」と強調した。最終的に彼らの会話は、正当な目的で、世界に正しい方法で発信されるならば、戦争の残虐行為の報道や犠牲者の撮影は許されるのかという考えにつながる、答えのない問いに至った。
この曖昧な立場について確認するために、番組はブリケット氏に尋ねた。(彼によれば、)ギリシャの海岸に辿り着いた難民ボートの状況写真の撮影責任は、国連難民救済事業機関の「ウェブサイト」にある。(一方、)戦争の現状とその破壊的な結果を正しい方法で伝えるかどうかについては、以下のように答えた。
「それこそ、私がここで試していることです。私は戦争の終結を願いながら、シリアの戦争から逃れてきた人々の顔に溢れる痛みを撮影することで、人間の一瞬一瞬を具現化することに集中しています。私はこの地域で滞在して戦争を取材していますが、戦争カメラマンとして、戦争の前線で起こっていることは伝えるにふさわしくないものだと認めます。しかし、捉えた写真の力が存在する最も良い背景線は、戦争の直接的な恐ろしさではなく、感覚の力からやってくるのです」。
(後略)
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( 翻訳者:中山実佐子 )
( 記事ID:39616 )