社会学者である同氏は最後に、こうしたソフトウェアによって起きている災厄から逃れる唯一の方法は、〔ソフトウェアを利用するための〕文化作りであるとの見方を示している。
両親から威厳が失われていることが、我々の社会では大きな問題と化している。今では、こうしたソフトウェアについて、自分の子供たちにあえて疑問を投げかけようとする父母はいなくなってしまった。両親は無意識的に、こうした考えを強めている。
こうした災厄は学校や大学の中にも伝染してしまっている。娯楽の時間ばかりか、授業中ですら、生徒や学生らはこうしたソフトウェアに熱中しているのである。国の教育制度にまで、こうした病理が及んでいるのだ。
テレグラムは人々の内面を変化させている。我々は啓蒙に励む必要があるが、こうした作業は容易ではない。なぜなら、我々全員が巻き込まれていることだからだ。教育機関やメディアこそ、こうした啓蒙活動の責任者である。若者たちがこうしたソフトウェアの囚われの身とならないよう、彼らの余暇の時間を豊かなものとしなければならない。
こうしたネットワークにいる多くの若者たちに、危険が迫っている。両親は自らの意識レベルを高めることで、こうした問題に対して警告を発するべきだ。両親が絶えず携帯電話のネットワークでチャットに没頭しているのを子供たちが目にすれば、彼らはそこが安全な場所であるかのように想像してしまうだろう。こうしたネットワークは子供たちを同世代のグループへと引きずり込み、彼らが両親から助言を得る代わりに、バーチャルな人格しか持たぬ友人たちに依存し、彼らから助けを得てしまうようになるだろう。
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( 翻訳者:MK )
( 記事ID:39626 )